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「独眼竜」 伊達正宗

今日8月3日は、戦国から江戸初期の武将で、仙台藩の基礎を築いた伊達正宗(だて まさむね)が、1567年に生まれた日です。

伊達輝宗の長男として、米沢城(山形県米沢市)で生まれた正宗(幼名・梵天丸)は、幼い頃から聡明でしたが、5歳のときに天然痘にかかって右目を失明してしまいました。のちに、片眼の大名としての正宗の威厳が、超人のように映って「独眼竜」と畏れ敬われました。

1577年に元服して「正宗」を名乗り、1584年に家督をつぐや父を殺した二本松義継を滅ぼし、1589年には会津の葦名氏を滅ぼし、わずか23歳で東北地方の南一帯を勢力下におさめました。

当時、豊臣秀吉が関白となって全国に勢力をのばし、正宗は、秀吉から小田原の北条攻めに参加するように求められました。ところが家中はどちらにつくかで激論がつづき、なかなか結論が出ません。北条攻めを決断した政宗は、死装束で秀吉のもとに参上しました。ところが秀吉の怒りをかって、会津を取り上げられてしまいます。そこからが正宗の真骨頂で、型破りの機智を発揮して、秀吉、家康の間をうまく立ち回りながら、米沢から岩出山(宮城県)に本拠を移しました。

1598年に秀吉が亡くなると、家康に急接近。関ヶ原の戦いでは東軍(家康方)につき、西軍(石田光成方)の上杉景勝を攻めて手柄をたて、伊達家を守ったばかりでなく、1602年には、仙台に城を築き、62万石の大名となりました。

「天下をわが手に」という野望はあったものの、仙台・青葉城と城下町の建設、村々に肝煎(きもいり・庄屋・名主のこと)を任じたり検地を行って農民支配を徹底した他、商業、鉱山などの産業の統制など、藩政に力をそそぎました。

1613年には、支倉常長 を遣欧使節に送り、ローマ法王への謁見を果たして、国際人としても積極的に活動しました。やがて大坂冬の陣・夏の陣により豊臣家が滅び、徳川政権が確立した頃は、正宗の心には天下の夢はなくなり、1636年に70歳で亡くなるまで、家康の相談役、家康亡きあとは2代将軍秀忠、3代将軍家光の後見として、太平の世をにらみつづけました。


「8月3日にあった主なできごと」

1792年 アークライト死去…水力紡績機を発明するなど、イギリスにおこった産業革命の担い手となった アークライト が亡くなりました。

1862年 新渡戸稲造誕生…国際連盟事務局次長などを通じ、日本の国際的な発展に寄与した教育者 新渡戸稲造 が生まれました。

投稿日:2011年08月03日(水) 06:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)