児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  懸賞曲を大ヒットさせたマスカーニ

懸賞曲を大ヒットさせたマスカーニ

今日8月2日は、オペラ『カバレリア・ルスティカーナ』などを作曲したイタリアのマスカーニが、1945年に亡くなった日です。

1863年、イタリア西岸の港町リボルノのパン屋の家に生まれたピエトロ・マスカーニは、父から法律を学ぶようにいわれました。でも、気が進まず、大好きな音楽の道に進みたいと、伯父を味方につけて地元のケルビーニ音楽学校に入学して、本格的に音楽を学びました。

能力はたちまち開花して、17、8歳のころには交響曲、オペラ、カンタータなどを作曲するようになり、その才能が認められて、ミラノ音楽院に入学しました。ポンキエッリやサラディーノに作曲を師事し、先輩のプッチーニとふれあいましたが、あまりに厳しい勉学に耐えきれず、中途で音楽院を飛び出してしまいました。ミラノの劇場の管弦楽団に加わってチェロ演奏をしたり、旅回りのオペレッタ一座の指揮者として活動しながら、作曲だけは続けていきました。
 
マスカーニの名を世界的にしたのは、何といっても、『カバレリア・ルスティカーナ』を一幕歌劇コンクールに応募し、圧倒的トップで当選させたことです。ローマの楽譜出版社の懸賞のことを耳にし、読んだばかりのジョバンニ・ベルガの短編小説を基に、わずか8日間で仕上げました。1888年のことでした。2年後の5月、コスタンツィ劇場での初演は大好評、第2夜からはチケットは完売となって、劇場は合計14回もの再演を行うほどの成功をおさめました。そして、初演後3年間でイタリア国内66都市、国外の62都市で上演され、世界中で圧倒的な人気を博したのでした。

『カバレリア・ルスティカーナ』は、次のように展開します。
シシリー島にある村が舞台。兵役からもどったトゥリドゥは、恋人ローラを訪ねますが、ローラはすでに荒くれ男の馬車屋アルフィオと結婚していました。トゥリドゥは、ローラを忘れようと、母親ルチアに勧められて村娘サンタと結婚しました。ところが浮気心のあるトゥリドゥは、留守がちなアルフィオの目を盗んでローラとあいびきを重ねるのをサンタに知られ、サンタは怒りのあまりアルフィオに告げてしまいます。アルフィオは激怒し復讐を誓い、サンタは事の重大な展開に後悔します。(ここで名高い「間奏曲」が流れます)
謝肉祭の朝。教会のミサが終わり、男たちはトゥリドゥの母の酒場で乾杯します。アルフィオはトゥリドゥの勧めた杯を断って決闘を申しこみ、アルフィオはいったん去ります。トゥリドゥは酒に酔ったふりをしながら母に「もし自分が死んだらサンタを頼む」と歌います。トゥリドゥが酒場を出て行きしばらくすると「トゥリドゥさんが殺された」という女の悲鳴が2度響き、村人の驚きの声……幕。

三角関係のもつれから起きた決闘と殺人──現実にあった出来ごとをドラマティック描いたこの作品は、イタリアにおけるヴェリズモ(現実主義)・オペラの典型的作品とされ、当時のオペラ界で一斉を風びしました。マスカーニは、このオペラ以外に15曲のオペラといくつかの管弦楽曲や声楽曲、歌曲、ピアノ曲を残していますが、ファシスト政権が誕生すると、ムッソリーニに接近しすぎたため、第二次世界大戦でイタリアが降伏した後、全財産を没収され、ローマのホテルで寂しく生涯を閉じたということです。


「8月2日にあった主なできごと」

1922年 ベル死去…聾唖(ろうあ)者の発音矯正などの仕事を通じて音声研究を深めているうちに、磁石式の電話機を発明した ベル が亡くなりました。

1970年 歩行者天国…東京銀座・新宿・渋谷などで、歩行者天国が実施され、ふだんの日曜日の2.4倍もの人びとがくりだしました。この日の一酸化炭素濃度が、ふだんの日の5分の1になったことから、車の排気ガス汚染を食い止め、汚染のない環境をとりもどそうと、全国各地に広まるきっかけになりました。

投稿日:2011年08月02日(火) 06:13

 <  前の記事 抒情詩の室生犀星  |  トップページ  |  次の記事 「独眼竜」 伊達正宗  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2476

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)