児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  おもしろ落語 >  おばけ長屋

おばけ長屋

「おもしろ古典落語」の30回目は、『おばけ長屋』というお笑いの一席をお楽しみください。

「よう、もくべえ(杢兵衛)さん」「なんだ、現さん、何か用か」「うん、うちの隣の空き家のことだがね」「空き家がどうかしたか」「いえね、この長屋のうちに、一軒くらい空き家がなきゃ、あのいんごうな大家のやつ、店賃の値上げだなんていいかねない。なんとか、だれが来ても、あの家を貸さないですむって工夫はないもんかね」「なるほど、大家にいばられちゃたまらねぇな。よし、それじゃ、借りてぇやつがきたら、おれんとこへよこしな。おれがうまいこといって、おいかえしてやるから」

最初に現れた気の弱そうな男は、もくべえにこんな話を聞かされます。「越してきて、一日二日は何ともない。三日目の晩になりますと、夜が…しだいに…ふけわたると、あたりはしーんと静まりかえります。すると、ひとりでに仏さまの鉦(かね)がチィーン、障子がスルスルっと開いて、髪をふりみだした女が『よく越してきてくれましたね』とケタケタ笑い…。冷たい手で顔をサッ」 と…、雑巾で顔をなでられて、悲鳴をあげて逃げだしました。おまけに六十銭入りのがま口を置き忘れて行きましたから、二人は大喜びです。

次に現れたのは威勢のいい職人。これがどう脅してもさっぱり効果がありません。仏さまの鉦がチーンというと「夜中に余興があるのはにぎやかでいいや」「障子がスルスルっと開いて」「そいつはありがてぇ、あいたときに小便にいきゃ、めんどうがなくていい」「ケタケタと笑います」「あいきょうがあっていいや」最後にぬれ雑巾をなすろうとすると「何しやがんでえ」と反対に杢兵衛の顔に押しつけ、前の男が置いていったがま口を持っていってしまいます。

この男、あくる日早速、ガラガラと荷車を押して引っ越してきてしまいました。男が湯に行っている間に現れたのが5人の職人仲間。ふだんから男が強がりばかりいい、今度はよりによって幽霊の出る長屋に引っ越したというので、本当に度胸があるか試してやろうとやってきました。一人が仏壇に隠れて、折りを見て鉦をチーンと鳴らし、二人が細引きで障子を引っ張ってスッと開け、天井裏に上がった一人がほうきで顔をサッ。仕上げは金づちで額をゴーンというひどいものです。作戦はまんまと成功して、口ほどにもなく男は親方の家に逃げこみました。

長屋の5人は、そのうち男が友だちでも連れてもどってくるだろうから、もう一つおどかしてやろうと、表を通った、親方がよくもんでもらっている大入道のみたいな按摩(あんま)を連れてきます。「あんまさん、いや、もんでくれってんじゃねぇんだ」「へぇ、なにをしますんで」「なにもしなくていいんだ。ここんとこに寝ててくれりゃいいんだ。人が入ってきたら『モモンガア』と目玉をむいておくれ」と頼み、5人はあるだけの蒲団を引っ張り出して、あんまを大の字にねかせ、それぞれ蒲団の裾に潜って、大入道がいるように見せかけようとします。

ところが男が親方を連れて引き返してきたので、これはまずいと五人は退散します。あとに残されたあんまさん、大あわてで、親方のほうに目をむくと『モモンガア』とやるところを、つい、ふだんの商売のくせで……

「ももうかぁ!」


「7月15日にあった主なできごと」

1099年 第1回十字軍…ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけに応じた第1回十字軍が、聖地エルサレムを占領しました。

1606年 レンブラント誕生…「夜警」 「フローラ」 「自画像」 など数々の名画を描き、オランダ最大の画家といわれる レンブラント が生まれました。

1871年 国木田独歩誕生…「武蔵野」 「牛肉と馬鈴薯」 「源叔父」 などの著作をはじめ、詩人、ジャーナリスト、編集者として明治期に活躍した 国木田独歩 が生まれました。

1924年 黒田清輝死去…『湖畔』、『読書』などの作品を描き、わが国の洋画の発展に大きな功績を残した画家 黒田清輝 が亡くなりました。

1949年 三鷹事件…国鉄(JRの前身)中央線三鷹駅で、無人の電車が暴走して脱線転覆しながら線路脇の商店街に突入。男性6名が電車の下敷となって即死、負傷者20名を出す大惨事となりました。この事件は、同時期に起きた下山事件、松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー」の一つとされています。

投稿日:2011年07月15日(金) 06:27

 <  前の記事 晩年に評価された画家・坂本繁二郎  |  トップページ  |  次の記事 「人文学の父」 ペトラルカ  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2460

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)