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「人文学の父」 ペトラルカ

今日7月19日は、ダンテと並び、イタリア・ルネッサンス初期を代表する詩人で、人文学者のペトラルカが、1304年に生まれた日です。

イタリア中部のアレッツォに生まれたペトラルカの父は、『神曲』で名高い ダンテ とともにフィレンツェを追われた法律家でした。そのためペトラルカは5歳の時に、フランス南部の古都アビニョンに一家とともに移り住みます。やがて、ボローニャ大学などで法律学を学びましたが、興味は詩作や、ラテン語を古代ローマ時代の古典的形式に整備したりすることでした。

1326年に父が亡くなったため、教皇庁のあったアビニョンへもどって、カトリックの聖職者をしながら文筆活動を行ううち、詩人として、また学者として名声を博すようになります。1330年には、フランス南西部のガスコーニュ地方の司教となり、各地を旅行しながら古典文学を深く学び、古典の伝統とカトリックの伝統とを総合した人文主義の指導者となって活躍しました。

しかし、ペトラルカのもっともよく知られている作品は、ラウラという女性との熱烈な恋愛から生まれた抒情詩集『カンツォニエーレ』(歌の本)でしょう。1327年に出会い、48年にペストで亡くなったというラウラの生と死、愛の苦悩を歌った詩編の数々は、ラウラの死後に発表されました。全部で207編の14行詩(4+4+3+3行からなるソネット) から成り、最初の1編は、こんな書き出しとなっています。

ひとよここに書き散らした詩句のうち
若気のあやまちの折心をば
はぐくんだため息の音を聞かれよう
今とやや別人として過ごしたころ

恋の道を通い知った者が居れば
むなしい希望と悲しみとのはざまで
泣き口どくわがさまざまな歌いぶりに
赦しのみか憐れみを給えと願う

けれど今は知るもろびとにとり我は
久しい間うわさの種であったと
かくてしきりにわが身を恥じらうばかり

もの狂いの結べる実は恥辱や
後悔 また世の人の気に入ることは
うたかたの夢とはっきり覚ったこと

1327年にアビニョンのある教会で、ペトラルカはラウラの顔を初めて見たといいますが、この女性についてはほとんどわかっていません。おそらく、ダンテが「理想の女性」ベアトリーチェを生涯書き続けたのに対抗して、ペトラルカの「理想の女性」を綴ったに違いありません。ダンテが中世的・神学的な傾向を持っていたのに対し、ペトラルカは、人文主義的・近代的感覚をもっていたのがよくわかります。本人は、「20年ばかりのあいだにたまった暇つぶしの余技」だといっているのも驚きです。後世の作曲家たちも、この抒情詩の数々に創作意欲をそそれられて、リスト らたくさんの作曲家が挑戦し、たくさんの名曲を残しています。

ペトラルカは『カンツォニエーレ』の他に、『凱旋』『アフリカ』といった壮大な叙事詩も書き残し、1341年にはローマで「桂冠詩人」の栄を受け、1374年に亡くなりました。


「7月19日にあった主なできごと」

1834年 ドガ誕生…たくさんの「踊り子」の絵を描いたフランスの画家 ドガ が生まれました。

1864年 蛤御門の変…天皇を中心に外国勢力を追い出そうと「尊王攘夷」を掲げる長州藩の志士たちが京都に攻めのぼり、京都御所の警備にあたっていた会津・薩摩の両藩と激突。わずか1日で長州の敗北に終わり、長州は一時勢いを失いました。

1870年 普仏戦争…フランスがプロイセン王国に宣戦、プロイセンが大勝して、翌年のプロイセン主導によるドイツ帝国が成立します。

投稿日:2011年07月19日(火) 06:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)