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ろくろっ首

「おもしろ古典落語」の29回目は、『ろくろっ首』というお笑いの一席をお楽しみください。

「だれだい、そこから首を出したりひっこめたりしてるのは? …なんだ、与太郎じゃねぇか、こっちきてあがれ」「おや、おじさんいたな」「なんだ、そのあいさつは」「だって、いたじゃねぇか」「いくらおじさんの家でも、あいさつぐらいはちゃんとしろ」「あいさつ? …じゃ、さようなら」「あれっ、もう帰っちゃうのか?」「帰りゃしないよ、あいさつだ」「そいつは、帰る時のあいさつだ。来たときには、今日は暑いですねとか、寒いですねとかいうのがあいさつだ」「今日はぬるいね」「ばか、風呂に入ってるんじゃねぇ、…いったい何しに来たんだ、おふくろのいいつけか」「そうじゃねぇ、あの、兄貴が…」「兄貴のいいつけか」「そうじゃねぇんだ、ちょっと、おじさんに相談があってきたんだ」「相談ごとなら聞いてやろう」「あのーっ…兄貴は、33だ」「そんなこと知ってら」「で、3年前にかみさんをもらった。そして子どもできて、その子がだんだん大きくなって…」「そんなこと当たり前じゃねぇか」

モジモジしたあげく、与太郎は、突然大声で「かみさんが欲しいっ」といいだしました。25になってもおふくろとふたりきり、ぶらぶら遊んで暮しているだけで面白くも何ともない、兄嫁が差し向かいで兄貴を「あなた」などと色っぽい声で呼ぶので、うらやましくなったらしい。「そりゃいいが、おまえ、どうやって食わせるんだ?」「箸と茶わん」「どうやってかみさんを養ってくかってんだ」「大丈夫だ。お袋とかみさんを働かせて……」「てぇげぇにしろ、そんな相談にゃ、おじさんは乗らねぇ、帰んな帰んな」

すると、うしろで聞いていたおばさんが何か耳打ちします。「え? なに? こいつを? そうよなあ。こういうのは感じねえから、いいかも知れねぇ」そこでおじさん、もしおまえがその気ならと、けっこうづくめの養子の話をします。あるお屋敷のお嬢さんで、年ははたち。両親は亡くなって乳母、女中二人と四人暮らし。資産はあるし美人だし、と聞いて与太郎は早くもデレデレ。ところが、奇病があって、草木も眠る丑三つ時(午前2時ごろ)になると、首がスーッと伸びて、行灯の油をペチャペチャなめはじめるとか。「はっはっは、そりゃおもしれぇや、どくどっ首だな」「ろくろっ首だ」「そんな遠くに首があったんじゃ、いちいちたぐらなくちゃならねぇ」「たこじゃねぇや」「だけど、おじさん、夜しか首は伸びないんだな」「昼間は何ごともねぇ」「そんならいいや、いくら伸びたって、目がさめねぇもん」「そうか…寝ぼすけってのも、何かの役には立つもんなんだな」

おじさんは考えました。あいさつもできなければまとまる話もまとまらないと、与太郎の褌(ふんどし)にひもを結びつけ、乳母が出てきて何かいったとき、一回引っ張れば「さようさよう」二回なら「ごもっともごもっとも」三回なら「なかなか」と、返事するんだと教えこみ、「これでまとまりゃ人間の廃物利用だ」と、与太郎を連れてお屋敷へ行きます。ところが、乳母が「ご両親さまが、草葉の陰でお喜びでございましょう」と、あいさつすると与太郎、「さようさよう、ごもっともごもっとも。あとはなかなか」と、後までいってしまって、おじさんは冷や汗たらたらです。

庭を見ると猫がいたので「柔らかくてうまそうな猫だ」とヒゲを抜く。そのうち、お嬢さんが庭を通る。「お、おじさん、あの首が」「しっ、聞こえるじゃねえか」よく見ると大変にいい女なので、与太郎うれしくなり「あんないい女が『あなたぁ』なんて、おまえさん、さようさようっ」お嬢さん、顔を赤くして逃げてしまいます。おじさんが小言をいっていると、猫が与太郎の褌に取りついて、与太郎、「さようさよう、なかなか、ごもっともごもっとも…」と、大騒ぎ。

ところが、縁があったのか話がまとまって吉日を選び、婚礼の夜。こんな与太郎でも寝床が変わるとぐっすり眠れません。夜中に目がさめ「ごもっともごもっとも」と寝ぼけていると、隣のお嬢さんの首がスーっ。与太郎「伸びたァー」と肝をつぶしてそのまま飛び出し、おじさんの家の戸をドンドン。「た・た・た、大変だぁぁぁ、伸びたーっ!」「ばか野郎、静かにしろ。伸びるのを承知で行ったんじゃねぇか」「承知だってダメだよ。初日から、あんなのやだよ。あたい、歯抜けばあさんでもいいから、おふくろんとこへ帰る」「この野郎。どの面(つら)下げて帰れるんだ…おふくろはな、大喜びで、明日はいい便りが聞けると、家でもって、首を長ぁーくして待っているじゃねぇか」

「えっ、首を長ぁーくして……そいつはたいへんだぁ。家へも帰れねぇ」


「7月8日にあった主なできごと」

1621年 ラ・フォンテーヌ誕生…人間を動物におきかえた教訓話(寓話)で名高いフランスの文学者・詩人のラ・フォンテーヌが生まれました。

1979年 朝永振一郎死去…量子力学の研究の中から「超多時間理論」をまとめ、それを発展させた「くりこみ理論」を発明した功績によって、ノーベル物理学賞を受賞した 朝永振一郎 が亡くなりました。

1994年 金日成死去…朝鮮半島の抗日運動家・革命家として活動、1948年9月にソ連の支援をえて「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)を建国、同国を朝鮮労働党独裁によって支配し続けた金日成が亡くなりました。

投稿日:2011年07月08日(金) 06:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)