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「民法」の生みの親・穂積陳重

今日7月11日は、明治・大正期に活躍した法学者で、「明治民法の生みの親」のひとりとされる穂積陳重(ほづみ のぶしげ)が、1856年に生まれた日です。

宇和島(現愛媛県)藩士の次男として生まれた穂積は、藩校であった明倫館に学んだあと、16歳で藩の勧める優秀な学生として上京。大学南校(東大の前身)を卒業すると、1876年から5年間、文部省の留学生としてイギリスやドイツへ渡って、法律学を学びました。

1881年に帰国すると、すぐに東大法学部の講師となり、翌年には27歳で、早くも東大教授兼法学部長に就任。およそ30年間にわたって民法・比較法学・法史学・法哲学といった「法律学」のさまざまな分野で、わが国の先駆者として活躍しました。

その間に穂積は、日本ではじめての法学博士となって、日本法学界に、イギリス流の経験主義と実証主義的な法学や、ドイツで学んだ科学主義的法学を取り入れ、東大に法理学の講座を初めて開きました。1890年から2年間ほど貴族院議員をつとめ、明治・大正期の日本の法学史に大きな足跡を残した功績から1912年に退職した3年後には、男爵の栄誉を得ています。

こんなエピソードも残されています。1891年に「大津事件」という事件がおこりました。日本訪問中のロシア皇太子ニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)が、琵琶湖見物の帰りに大津市を通ったとき、警備の巡査に突然斬りかかられました。この「大津事件」でロシアとの関係悪化を恐れた政府は、犯人の死刑判決を求めましたが、大審院長(現・最高裁判所長)の児島惟謙(こじま いけん)は、政府の圧力をはねつけ「無期懲役」の判決を下しました。児島は、この判決に際し、宇和島の後輩である穂積に意見を求めたところ、「外国では敗戦国でない限り、自国の法律を曲げた例はない」と激励したと伝えられています。この判決により、日本の司法権への信頼が、国際的に高まったことはいうまでもありません。

何をおいても、穂積の一番の功績は、フランス法学の立場に立つ梅謙次郎らとともに、議論を重ねながら民法の起草にあたったことでしょう。民法は、1896年に公布、1898年に施行されています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、穂積の代表著書「法窓夜話」を読むことができ、いかに穂積が有能な法学者だったかがうかがえます。


「7月11日にあった主なできごと」

1156年 保元の乱…後白河天皇方の平清盛、源義朝らが、崇徳上皇方の平忠正、源為義らのこもる白河御所に夜討ちをかけて打ち破りました。その結果、上皇は隠岐に流され、為義らは処刑されました。これにより、武士が政治に進出、平氏の政権、源平の合戦を経て、鎌倉幕府の成立につながります。

1864年 佐久間象山死去…幕末の志士として有名な吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟らを指導した開国論者の 佐久間象山 が、攘夷派の武士たちに襲われて亡くなりました。

1893年 真珠の養殖成功…御木本幸吉 は、この日アコヤガイを使った貝の中に真珠ができているのを発見、約10年を費やして、真円真珠の養殖に成功させました。

投稿日:2011年07月11日(月) 06:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)