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青菜

「おもしろ古典落語」の28回目は、『青菜(あおな)』というお笑いの一席をお楽しみください。

そろそろ暑くなったころ、ある隠居の家で、植木屋の八五郎が植木の手入れをしながら、一服していました。「植木屋さん、たいそうご精がでますな」「あっ旦那、おいでなすってたんですか。植木屋は、なまけ者が多いのか、いつも座りこんじゃ、たばこふかしてるって。ボンヤリしてるんじゃなくて、庭ながめながら、『こっちの枝はもう少し短めにしたほうがいいんじゃないか、石灯はこっちに移そうか』なんて、いちいち段取りぃつけてますんで」「そうでしょうな。人間ただ動いていりゃいいってもんじゃない。…今、きれいになった庭をみながら一杯やってましたが、植木屋さんは、ご酒をめしあがりかな?」

もとより酒なら浴びるほうの口です。そこでごちそうになったのが、上方の柳影(やなぎかげ)という酒で、「直し」という安酒の加工品ですが、何も知らない八五郎、暑気払いの冷や酒ですっかりいい心持ちになった上、鯉のあらいまでごちそうになって、大喜びです。

「時におまえさん、菜をおあがりかな?」「へい、大好物で」ところが、次の間から奥さまが出てきて「旦那さま、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名は九郎」と妙な返事。旦那もだんなで「義経にしておけ」。これが、実はしゃれで、菜は食べてしまってないから「菜は食らう=九郎」「それならよしとけ=義経」。客に失礼がないための、隠し言葉だといいいます。

八五郎、その風流にすっかり感心して、家に帰ると女房にいきさつを説明します。「やい、てめえなんざ、亭主のつらさえ見りゃ、イワシイワシってやがって……さすがはお屋敷の奥さまだ。同じ女ながら、こんな行儀のいいことはてめえにゃいえめぇ」「いってやるから、鯉のあらいを買ってみな」なんてやってるところへ、大工の熊がたずねてきます。こいつぁいいカモがきたとばかり、女房を無理やり押入れにおしこみ、熊を相手に「たいそうご精がでるねえ〜」から始まって、ご隠居との会話をそっくりくりかえそうとします……

「大阪の友人から届いた柳影だ。まあおあがり」「ただの酒じゃねえか」「さほど冷えてはおらんが」「燗ざましだろ」「鯉のあらいをおあがり」「てめえ、職人のくせに鯉のあらい? 何だイワシの塩焼きじゃねえか。おれにゃこっちの方がいいけどな」「時に植木屋さん、菜をおあがりかな」「植木屋は、てめえだ」「菜はお好きかな」「でぇ嫌ぇだよ」「おい、酒飲んじまって、イワシ食らって、いまさら菜が嫌ぇってのはひどいじゃないか。食うといっておくれ」「なんだ、泣いてやがる…おかしな野郎だな。じゃいいよ、食うよ」「食う? しめた…ではしばらくお待ちを…」「手ぇたたいて、何を拝んでやがんだ」「拝んでるんじゃない、人を呼ぶときに手をたたくだろ…奥や」「奥にも台所にも、一間しかねぇじゃねぇか」「黙ってろぃ…奥や」「旦那さまっ」「わぁ、びっくりした…かみさん、押入れから飛び出したりして…、この暑いのに汗びっしょりじゃないか、どうしたぃ?」「旦那さま…鞍馬山から、牛若丸がいでまして、九郎義経」と、全部いっちゃいます。困った八五郎……

「えーっ、義経? うーん、弁慶にしておけ」


「7月1日にあった主なできごと」

770年 阿倍仲麻呂死去…奈良時代に遣唐留学生として中国(唐)にわたり、唐朝の高官に登るも日本への帰国が果たせなかった歌人・阿倍仲麻呂が唐で亡くなったといわれています。

1787年 寛政の改革…江戸幕府の老中松平定信は、8代将軍徳川吉宗の「享保の改革」にならい、この日から「寛政の改革」を行い、武芸や学問の奨励、緊縮財政、風紀取締りによる幕府財政の安定化をめざしました。一連の改革は、田沼意次が推進した商業重視政策を否定したものでした。

1997年 香港返還…アヘン戦争を終結させるため、清とイギリス間で結ばれた南京条約(1842年)により、イギリスに割譲された香港でしたが、イギリスから中国へ返還され、特別行政区となりました。

投稿日:2011年07月01日(金) 06:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)