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日英外交の功績者 アーネスト・サトー

今日6月30日は、幕末から明治初期に活躍したイギリスの外交官で、英国公使館通訳、駐日英国公使など、日英間の融和につとめたアーネスト・サトーが、1843年に生まれた日です。

スウェーデン人貿易商の子としてロンドンに生まれたサトーは、子どもの頃から聡明で、14歳のときにたまたま読んだ本から、東方には、日本や中国といった自分の知らない文明国があることを知りました。大学を飛び級で卒業後、北京で漢字学習をしたあと、日本駐在通訳に応募して1862年、念願の来日を果たします。

イギリス公使館の通訳生として勤務をはじめたサトーは、宣教師らから日本語を徹底的に学び、1865年に通訳官、さらに日本語書記官に昇格、通訳としてばかりでなく、外交官として活躍しました。本国に「徳川の将軍は大名たちの盟主ともいうべき存在であって、幕府と外交交渉を行うことは無意味。イギリスとしては天皇を奉る雄藩連合に手を貸し、日本の政治形態を一新させ、対日交易の円滑化を図るべきである」と提言し、その後のイギリスの対日外交路線となっていったといわれています。

サトーは、1883年にシャム総領事となって日本を離れますが、1895年にイギリス公使として再来日して1900年まで計25年間日本に滞在、日本名を「佐藤(薩道)愛之助」として、日本の歴史、宗教、風俗などの研究論文を残しています。

1900年からサトーは、駐清公使として中国に赴任、義和団の乱の後始末をつけ、日露戦争を見とどけたあと、1905年に帰国。引退後は著述に従事しました。1921年には回想記『一外交官の見た明治維新』を著わし、生麦事件から発生した薩英戦争、四国連合艦隊による下関攻撃、王政復古による新政府誕生、戊辰戦争に至るまで、間近に見た幕末から明治維新という日本の激動期を、外交官の眼でしっかり記述したばかりか、当時の旅籠や食事などの風俗まで記しています。幕府役人の外交交渉力の未熟さや、西郷隆盛が優れた人物であると見抜くなど、サトーが見識のある人物であることがよくわかります。

なおサトーは、正式な結婚はしていませんが、内妻との間の子・2男1女を認知し、次男の武田久吉はロンドン大学などで学び、日本を代表する植物学者として、高山植物に関するすぐれた業績を残しています。最晩年は孤独のさみしさに、日本へ移住したいと熱望しましたが、1929年、病に倒れて亡くなりました。


「6月30日にあった主なできごと」

1898年 日本初の政党内閣…それまでの内閣は、長州藩や薩摩藩などの藩閥が政権を担当していましたが、自由党と進歩党がひとつになった憲政党が、大隈重信を首相に、板垣退助を内務大臣に内閣が組織されたため、大隈の「隈」と板垣の「板」をとって隈板(わいはん)内閣といわれました。しかし憲政党に分裂騒ぎがおき、組閣後4か月余りで総辞職を余儀なくされました。

1905年 相対性理論…20世紀最大の物理学者といわれるアインシュタインが、相対性理論に関する最初の論文「運動物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌に発表しました。

投稿日:2011年06月30日(木) 06:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)