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うまや火事

「おもしろ古典落語」の27回目は、『厩(うまや)火事』というお笑いの一席をお楽しみください。

「どうしたい、お崎さん、また夫婦げんかかい?」「そうなんでございますよ、今日も、仕事で朝早くから働きづめ、いつもは5時頃に帰るんですけど、途中であたしの姉弟子にあいましたら、指をケガしちゃって当分髪を結うことができないって、で『おまえさん、あたしのお顧客(とくい)で、どうしても今日行かなくちゃならない、すまないが代わりに行ってくんないか』っていわれまして、あたしが病気にでもなって、お願いすることもありますんで、『よろしゅうございます』って、伊勢屋さんていう家に行ったんです。すぐに、おかみさんの頭ァ結っちまった。この髷(まげ)がちっちゃいから、わけないんで…すると『娘が、明日芝居へ行きたいってぇますから、ぜひひとつ結ってもらいたい』って。商売ですからねぇ、ところがこの娘の毛がくせっ毛で、『ここが出てるの、ここが引っこんでるの』って、頭の悪い人ほど髪型ァやかましいもんで、ごまかして結っちまったんですけど、たしかに少しは遅くなりましたよ、家についたのが7時過ぎでしたから。何が気に入らないのか、真っ青な顔して『どこォ遊び歩いてやがんだ』こういきなり言うんですよ。…仲人のだんなの前ですが、私が、遊び歩いているわけないじゃありませんか」「まてまて、おまえにあたしが叱られているようだな、まるで…」

「あんまりくやしいから、私言ってやったんですよ。『誰のおかげで、そやって、昼間っから家で遊んでいられるんだ』って。向こうも男ですから、負けてはいません。『なにを生意気なことを言いやがる、このおかめッ』ていうんで、あたしも腹が立って『ひょっとこッ』ってやったんですよ。そしたら向こうが『般若(はんにゃ)』っていうから、私が『外道(げどう)』って…」「おいおい、面づくしでけんかしてやがる。で、おまえさん、どういう心持ちであたしんとこへ出てきたんだい?」「今日っていう今日は、もう愛想がつきました。せっかく仲人をしていただきましたが、だんなに別れさせてもらおうと思って……」「ああ、そうかい。いいでしょ、いいでしょ。お別れなさい。お前さんの亭主の八五郎ってのは、あたしのほうから出た人間だ。だからかばわなくちゃならない。だから言わなかったが、あたしにゃ、気に入らないことがあるよ。2、3日前に、お前の家の前まで行ったんだ。すると格子戸が少しばかり開いているだろ…、不用心だからって、声をかけた。まぁ、『お入んなさいまし』って、そばにあった片づけたお膳の上を見ると、刺身を1人前とったとみえる。それはいいとしても、酒が1本乗ってる。よく考えてごらんよ。女房が昼間、油だらけになって稼いでる留守に、家で酒飲んでちゃ困るだろ?」

ところが、お崎はうって変わって、「刺身を百人前あつらえて長屋じゅうに配ったとか、二升も三升もお酒飲んでひっくり返って寝ていたわけでもないのに、そんなに言わなくてもいいじゃありませんか」と、亭主をかばいはじめ、はては、あんな優しくていい人はないと、逆にノロケまで言いだします。あきれただんなは、それじゃ一つ、八五郎の心を試してみろと、参考に二つの話を聞かせました。

そのひとつが、むかし唐土(もろこし・中国)にいた孔子という偉い学者の話。孔子が旅に出ている間に、廐から火が出て、孔子が命の次に大切にしていたという白馬が焼け死にました。使用人たちは、どんなおしかりを受けるかと青くなっていましたが、帰った孔子は、馬のことは一言も聞かずに、「家の者に、けがはなかったか」といいます。使用人たちは、これほど家来を大切に思って下さる主人のためなら命は要らないと、感服したというもの。

二つ目は、麹(こうじ)町に住むさるお屋敷の殿さまの話。「猿の殿さまで?」「猿じゃねえ。名前が言えないから、さる殿さまだ」その殿様が大変瀬戸物にこっていて、それを客に出して見せるとき、奥方が運ぶ途中、あやまって二階から足をすべらせた。殿さま、真っ青になって、「皿、さらは大丈夫か。皿・皿・さら・さら・さら…」と、息もつかずに三十六回。あとで奥方の実家から、「妻よりも皿を大切にするような不人情な家に、かわいい娘はやっておけない」と離縁され、一生さみしく過ごしたというもの。

「おまえの亭主が、孔子さまか麹町か、なにか大切にしている物をわざと壊してその心を確かめてみな。麹町の方なら望みはねぇから別れておしまい」と。帰ったお崎、たまたま亭主が、「さる殿さま」よりはだいぶ安物だが、同じように瀬戸物の茶わんを大事にしているのを思い出しました。そこで、台所でわざとすべって転びます。「……おい、だから言わねえこっちゃねえ。どこも、けがはなかったか?」「まあうれしい。猿じゃなくてもろこしだよ」「なんでぇ、そのもろこしってぇのは」「おまえさん、やっぱりあたしの身体が大事かい?」

「あったりめぇよ。けがでもしてみねぇ、あしたっから、遊んでて酒飲むこたぁできねぇ」


「6月24日にあった主なできごと」

672年 壬申の乱…古代最大の内乱といわれる「壬申の乱」が始まりました。大海人皇子(のちの天武天皇)と大友皇子の争いで、およそ1か月続きました。

1611年 加藤清正死去…豊臣秀吉 の家臣として仕え、秀吉没後は 徳川家康 の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって熊本藩主となった 加藤清正 が亡くなりました。1562年に誕生した日でもあります。

1788年 田沼意次死去…江戸時代の中ごろ、足軽の子に生まれながら、側用人から老中までのぼりつめ、1767年から1786年まで 「田沼時代」 とよばれるほど権勢をふるった 田沼意次 が亡くなりました。

投稿日:2011年06月24日(金) 06:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)