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『ローレライ』 のジルヒャー

今日6月27日は、歌曲『ローレライ』などたくさんの歌曲を作曲したドイツのジルヒャーが、1789年に生まれた日です。

ドイツ南部のシュナイトという町で生まれたフリードリッヒ・ジルヒャーは、父に音楽の手ほどきを受けながら、オルガニストのアウバーレンに学びました。ジルヒャーの才能を見抜いたアウバーレンは、ジルヒャーを音楽教師にしようと、徹底的な教育をします。やがて、家庭教師や女学校の教師をするようになったジルヒャーは、のちに『魔弾の射手』を発表するウェーバーと出会ってふれあううち、音楽家として生きていくことを決意します。そして、1815年からシュトゥットガルトに移り住み、個人教授をしながらピアノと作曲を学びました。

1817年からテュービンゲン大学の音楽指導者となり、合唱団や小規模なコーラスグループを組織するようになりました。そのうち、大衆への音楽教育をするためには、民謡による演奏が最も適していると考えるようになり、ドイツばかりでなく各国の民謡を収集して編曲するとともに、250曲を越える歌曲を作ったといわれています。

『ローレライ』 は、ジルヒャーが1838年に作曲したもっとも名高い歌曲で、歌詞は、ドイツの著名な詩人ハイネの『歌の本』より「帰郷」の2節目にある詩が用いられました。日本では、1909年の『女声唱歌』に掲載された、次の近藤朔風による訳詞が広く知られています。

1、なじかは知らねど心わびて/昔のつたえはそぞろ身にしむ/さびしく暮れゆくラインのながれ/いりひに山々あかくはゆる

2、うるわしおとめのいわおに立ちて/こがねの櫛とり髪のみだれを/梳きつつくちずさぶ歌の声の/くすしき魔力(ちから)に魂(たま)もまよう

3、こぎゆく舟びと歌に憧れ/岩根もみやらず仰げばやがて/浪間に沈むるひとも舟も/くすしき魔歌(まがうた)うたうローレライ

口語に訳してみると「なぜかはわからないけれど、心わびしくて、昔の伝説が心から離れない。夕暮れにライン川が流れる時、美しい乙女が岩に座って、髪をくしけずる。その歌声は、魔物のように人を惑わせ、舟をこぐ人が歌に魅かれて見上げれば、岩に気づかず、波間に沈む。不可思議で魔のような歌ローレライ」……といったような内容でしょうか。

「ローレライ」というのは、ライン川中流の右岸ザンクト・ゴアルスハウゼン近くにある岩山の名で、水面から130mほど突き出ています。岩のあたりは、川幅が少し狭いために流れが急になるため、昔から遭難する船が多かったいわれ、いくつかの妖精伝説が残されています。そのひとつが、不実な恋人に絶望してライン川に身を投げた乙女が水の精となって、魔力の歌で漁師を誘惑し、岩山を通りかかった舟を次々と遭難させていったというもの。

Loreley.jpg

私も過去に2度ほどライン下りを体験し、このあたりを通過しましたが、いかにもラインのゆったりとした流れにふさわしい、魅力ある歌だと思いながら口ずさんだものです。


「6月27日にあった主なできごと」

1809年 上田秋成死去…わが国怪奇文学の最高傑作といわれる 「雨月物語」 を著した江戸時代後期の小説家・国学者・歌人の 上田秋成 が亡くなりました。

1850年 小泉八雲誕生…「耳なし芳一」 や 「雪女」 などを収録した 『怪談』 などを著し、日本の文化や日本の美しさを世界に紹介したラフカディオ・ハーンこと 小泉八雲 が生まれました。

1880年 ヘレンケラー誕生…生後19か月で目・耳・口の機能を失いながらも、著述家、社会福祉事業家として活躍したアメリカの ヘレンケラー が生まれました。

投稿日:2011年06月27日(月) 06:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)