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落語名人・古今亭志ん生

今日6月28日は、20世紀を代表する名人のひとりといわれた落語家の5代目古今亭志ん生(ここんてい しんしょう)が、1890年に生まれた日です。

東京神田に、貧しい警官の5男に生まれた志ん生(本名・美濃部孝蔵)は、11歳の頃から奉公先を転々としながら生活するうち、1907年に橘家円喬に入門、三遊亭盛朝を名乗りました。以後、朝太、園菊、馬太郎、志ん馬、馬生など、1931年に(5代目)古今亭志ん生を名乗るまで、16回も改名しました。それも、貧乏生活を送ってきたことによる借金からの逃亡と、酒による放蕩ぶりがたたったためといわれています。

極貧生活を送りながらも、「天衣無縫」といわれる芸風と、鋭い諧謔(かいぎゃく)精神を磨き上げ、他に追随を許さない独特の語り口をつくりだしました。「描写と格調の」名人・(8代目)桂文楽に対し、「感覚と即妙の」志ん生といわれています。文楽が覚えこんだ落語は、一言半句違えずに語るのに対し、志ん生は、演ずる落語の骨子だけを頭に入れ、ぶっつけ本番、客の反応やその日の自分の気分で自在に展開させるというものでした。その名人芸は、たくさんのファンを魅了しました。

エピソードもたくさん残されていて、酒に酔ったまま高座に上がって、そのまま居眠りを始めてしまったのを見た客は、怒るどころか、「酔っ払った志ん生なんざ滅多に見られない」と、寝たままの志ん生を楽しそうに眺めていたといいます。まさに、「高座の姿そのものが落語」のようでした。

(6代目)三遊亭円生は、絶妙な間や気品といった話芸を磨いて落語を究めた名人として、志ん生と人気を二分しましたが、円生は「あたしとあの人(志ん生)の落語を剣法に例えると、あたしのは道場の剣法。あの人のは野武士の真剣勝負の剣」と語り、芸の差を剣道に例えて脱帽させたほどでした。

1957〜63年まで、落語協会の会長をつとめ、1973年に心筋梗塞で亡くなりました。当たり芸は、『火焔太鼓』 『お直し』『らくだ』『妾馬(八五郎出世)』『三枚起請』など。なお、1928年生れの長男(10代目金原亭馬生)、1938年生れの次男(3代目古今亭志ん朝・2001年死去)も、著名な落語家です。


「6月28日にあった主なできごと」

1491年 ヘンリー八世誕生…首長令を発布して「イングランド国教会」を始め、ローマ法王から独立して自ら首長となった ヘンリー8世 が生まれました。

1712年 ルソー誕生…フランス革命の理論的指導者といわれる思想家 ルソー が生まれました。

1840年 アヘン戦争…当時イギリスは、中国(清)との貿易赤字を解消しようと、ケシから取れる麻薬アヘンをインドで栽培させ、大量に中国へ密輸しました。清がこれを本格的に取り締まりはじめたため、イギリスは清に戦争をしかけて、「アヘン戦争」が始まりました。

1914年 サラエボ事件…1908年からオーストリアに併合されていたボスニアの首都サラエボで、オーストリア皇太子夫妻が過激派に暗殺される事件がおこり、第1次世界大戦の引き金となりました。

1919年 ベルサイユ講和条約…第1次世界大戦の終結としてが結ばれた講和条約でしたが、敗戦国ドイツに対しあまりに厳しい条件を課したことがナチスを台頭させ、第2次世界大戦の遠因となりました。

1951年 林芙美子死去…『放浪記』など、名もなく・貧しく・たくましく生きる庶民の暮らしを、みずからの体験をもとに描いた作品で名高い女流作家 林芙美子 が亡くなりました。

投稿日:2011年06月28日(火) 06:24

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)