今日1月28日は、チューダー朝のイングランド王ヘンリー8世が、1547年に亡くなった日です。
少しヨーロッパの歴史に詳しい人は、イングランド王へンリー8世が6回結婚したこと、さらに エリザベス女王(1世) の父親であることを知っています。そして、歴代のイギリス国王のなかで、ヘンリー8世ほどほめたたえられたり、憎まれたりした王はいません。
ほめたたえる人たちは、ヘンリー8世が喜んで貧乏人を助け、あらゆる階層の人びとと仲よくした立派な国王として評価します。ラテン語、スペイン語、フランス語を理解し、舞踏や馬上槍試合などのスポーツにも優れた才能を発揮したほか、音楽や詩などにも造詣が深く、機知に富み、知性的だったといいます。ところが歴史家の中には、国王の名に値しない野蛮な男であって、死ぬよりずっと前に、狂気ある男として幽閉するか投獄すべきだったとさえいいます。
イングランドは、当時カトリックの国でした。ヘンリー8世もまたカトリック信者で、当時ドイツを中心におこった「ルターの宗教改革」を批判するカトリック擁護の書を著すなど、ローマ教皇から「信仰の擁護者」(Defender of the Faith)の称号を授かるほどでした。
ところが、最初の妃と離婚し、後のエリザベス女王を生むことになるアン・ブーリンとの再婚をめぐる問題から教皇と対立しました。カトリックは離婚を厳格に禁じていたからです。ヘンリー8世のすごいところは、1534年に首長令を発布して、新しいキリスト教である「イングランド国教会」を始め、自らその長となりました。いっぽうローマ教皇からいただいた「信仰の擁護者」の称号は、ちゃっかり国教会の成立後も後継者に代々用いられていて、今のイギリス女王エリザベス2世の称号のひとつにもなっています。
そんなヘンリー8世の詳しい生涯につきましては、いずみ書房ホームページのオンラインブックで公開している「レディバード100点セット」94巻 「ヘンリー8世」 の参考訳をご覧ください。
「1月28日にあった主なできごと」
712年 古事記完成…太安万侶(おおのやすまろ)が元明天皇に「古事記」を献上しました。「古事記」は「日本書紀」と並ぶ古代の2大歴史書の一つで、稗田阿礼(ひえだのあれ)が記憶していた歴史を、安万侶がまとめあげたものです。
1582年 天正少年使節…九州のキリシタン3大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠は、伊東マンショら少年4名を「天正少年使節」として、ローマ法王に謁見させるため、長崎の港から送り出しました。
1687年 生類憐れみの令…第5代将軍 徳川綱吉 は、この日悪名高き「生類憐れみの令」を出し、亡くなるまでの23年間にわたり人々を苦しめました。犬や猫、野生の鳥獣保護ばかりでなく、食用の魚貝類やにわとりまでも飼育したり売買を禁止しました。
1912年 南極に日章旗…白瀬矗(のぶ)率いる南極探検隊が、南緯80度付近に日章旗をかかげ「大和雪原」と命名しました。のちに、この地は氷上であって、南極大陸ではないことが判明しました。