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大作曲家モーツァルト

今日1月27日は、ハイドンやベートーべェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人であるオーストリアの作曲家モーツァルトが、1756年に生まれた日です。

「あらゆる音楽家の中で、一人だけ天才をあげるとすると誰を選びますか」という人気投票をクラシックファンに呼びかけたとしたら、間違いなくトップにあがるのは「モーツァルト」でしょう。わずか35年の生涯に交響曲41曲、ピアノ協奏曲27曲、バイオリン協奏曲7曲、弦楽四重奏曲23曲、歌劇20曲、ミサ曲20曲など等……そのどれもが高水準なのですから、驚き以外のなにものでもありません。

ベートーベンもまた天才といわれます。しかし、ベートーベンの楽譜には、たくさんの修正のあとがあるのに対し、モーツァルトの楽譜にはそれがほとんどないといわれます。ベートーベンが苦労しながら曲をしぼりだしたのに比べて、モーツァルトは天から聞こえてくる曲の調べを一気に書き記したからなのでしょう。

ところが、そんなモーツァルトの晩年の数年間は、とても悲惨なものだったようです。病気の妻を温泉に行かせるのに、質屋からお金を工面せねばならないほどで、その貧しさからのがれないまま生涯を終えました。モーツァルトの墓は、ウィーンの聖マルクス墓地にありますが骨は埋められていません。遺骨は共同墓地に捨てるようにほうむられ、やがて、骨1本さえ行方不明になってしまったようです。

しかし、モーツァルトの生涯は、誇り高いものだったと信じます。私たちは今も、CDやコンサートなどで、明るく気品に満ちた名曲の数々を、芸術家の魂のほとばしりを、深い感動とともに聞けるのですから。「死ぬということは、モーツァルトが聞けなくなること」と、モーツァルトを唯一の生き甲斐にして逝った人の言葉は、私の胸に深く、そして強烈に残っています。

なお、モーツァルトの詳しい生涯につきましては、いずみ書房ホームページのオンラインブック「せかい伝記図書館」第8巻 「モーツァルト」をご覧ください。また、「レディバード100点セット」83巻「大作曲家1」にバッハ・ベートーベンとともに参考訳を公開しています。


「1月27日にあった主なできごと」

1219年 源実朝死去…鎌倉幕府の第3代将軍で、歌人としても著名な 源実朝 が、兄の2代将軍頼家の子公暁に暗殺されました。公暁も殺され、源氏の血が絶えてしまいました。

1832年 キャロル誕生…イギリスの数学(幾何学)者でありながら『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』 などファンタジーあふれる児童文学作品を著したキャロル(本名ドジソン)が生まれました。

1902年 八甲田山遭難事件…日本陸軍の歩兵隊が青森県八甲田山で冬季訓練中に遭難し、訓練への参加者210名中199名が死亡。軍の無謀な訓練が問題になりました。

1945年 野口雨情死去…『十五夜お月さん』『七つの子』『しゃぼんだま』などの童謡や『波浮の港』『船頭小唄』などの歌謡の作詞家として、今も歌われる名曲の数々を残した野口雨情が亡くなりました。

投稿日:2010年01月27日(水) 09:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)