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宿屋の富

「おもしろ古典落語」の24回目は、『宿屋(やどや)の富(とみ)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「富」というのは今の「宝くじ」のようなもので、江戸時代には、たいそう流行っていました。江戸・馬喰町のあまりはやらない宿屋に、長いこと泊っている男がいます。「ちょいとお前さん。2階のお客さん、もう20日も逗留してるよ」「結構じゃないか」「喜んでちゃ困るよ。何だかおかしくないかい。深みにはまらないうちに、何とかしたほうがいいよ」「そんなら、おまえが催促してこい」「何いってんだい、そんなことは女がやるこっちゃない、男の仕事だよ。お前さんだって男のはしくれだろ、ちょっと様子みておいでよ」「はしくれたぁ、ぬかしやがったな。見つくるよ。…ごめんください、おいででしょうか」

「おう、この家の主人どんだな、おら、泊まったときに顔を見たが、それっきりだ。何か用か?」「実はお願いがございまして、お宿帳を願いたくて…」「おかしいな。おら、泊まったときにつけたでねぇか」「ええ、お処とお名前は伺っておりますが、この節、その筋のお調べが厳しゅうございまして、お身なりからお荷物、ご商売と、ことごとく付けさせて頂くようになっております」「ああ、そうかね。身なりったってこれぇ着たきりだ。荷物ってあそこにあるちっけぇ包み、あれひとつ。商売なんてねぇや」「お調べの筋に、無職ってぇのは困るんで…。それにまだ、お手付金も頂戴してございませんし…」

「ああ、そうか、どうも様子がおかしいと思ったら、おめぇ、勘定とりに来たな。それならそうと、はっきりいうがいいでねぇか。おらね、ちびちび払っては面倒だから、発つときに一度にまとめて払うべぇと思っただ。おめぇら、おらが汚ねぇなりしてるでみくびって、そんなこといってきただな。さぁ、いくらんなるんでぇ、勘定書をだしな」「お腹立ちではどうも恐れいります」「腹も立つでねぇか、おらぁ、金に困ってる男でねぇだよ。金なんかいくらでもあるんだから…」と、どんなに金があるかをしゃべり始めました。

信州上田に家があって、奉公人が500人、身の周りを世話する女中が7〜80人、あちこちの大名や旗本に十万両二十万両のはした金を貸している上、漬物に千両箱をのせて沢庵石にしているの、泥棒が入ったので好きなだけやるといったのに、千両箱八十くらいしか持っていかなかったのと、かって放題に吹きまくります。「驚きましたなぁだんな様は、その家のご当主さまでいらっしゃる…」「ああ、そこの主(あるじ)だぁ」「そんなご大家のだんな様が、よりによって手前どものようなきたない宿にお泊まりになったんで…」「いつもは、この先のでっけえ宿に泊まるんだが、そこはね、いつも支配人が金を使ってるから、下へもおかないようにされるんで、かえって窮屈だ、いやでたまらねぇから、わざわざ初めてのこの宿を選んだんだ」

人のいい宿の主人、これは大変な大金持ちだとすっかり感心してしまいます。「実はてまえどもは宿屋だけではやっていけないので、富くじの札を売っていますが、一枚余ったのを買ってくれませんでしょうか」と持ちかけます。値は一分で、当たりは一番札が千両、二番札が五百両。「千両ぽっち当たってもじゃまでしょうがないから」と男がいうのを無理に説得して買ってもらった上に、万一当たったら半分もらうという約束を取りつけました。

男は一人になると、なけなしの一分を取られちゃったと、ぼやきながら「あれだけ大きなことをいったから、当分宿賃の催促はねぇだろう。飲めるだけのんで食うだけくって逃げちまおう」と開き直りました。翌朝、「大名屋敷に、二万両貸した金、返さなくていいからっていってこようと思ってね」と宿を出た男、富くじが行われる湯島天神の方に足が向きます。

「くじが終わったようだ、あそこに当たりくじが書きだしてあるんだな。おいおい、江戸っ子だっていうのに、なさけねぇ顔して見上げてやがる。当たるわけはねぇや、5万枚もあるんだからな。おらの富は、子(ね)の千三百六十五番だな。運のある奴もいるんだろうが、なけなしの一分をふんだくられるような運のねぇ奴に、当たるわけねぇんだ。二番札の五百両か? 辰(たつ)の二千百四十一番だ…かすりもしねぇや。ついでだ、一番札も見るか。子の千三百六十五番…ほうら、やっぱり当たってねぇ、だけどちょっと惜しいな。子の、一千、三百、六十、五……。えっ、もしかして」「どうしましたか? 旦那、顔が真っ青ですよ」「ああ、あ・当たった…」「当たった? 食あたりですな、早く帰って寝るといい」「ああ、そ・そうする」あまりのショックで寒気がし、そのまま宿へ帰ると、2階で蒲団をかぶってブルブル震えています。

宿の主人も、後から湯島天神からかけもどってきました、こっちもブルブル震えながら、2階へすっとんで行きます。「あたあた、あ・あーたの富千両、あ・当たりましたっ」「うるせえなあ、貧乏人。千両ばかりで、そんなにガタガタ……おまえ、座敷ぃ下駄はいて上がってきやがったな。情けねぇ」「えー、お客さま、下で祝いの支度をさせております。一杯おあがりください」「いいよ、千両っぱっかで」「そんなこといわずに」と、ぱっと蒲団をめくると、

客は、ぞうりをはいたまま寝ていました。


「6月2日にあった主なできごと」

1582年 本能寺の変…天下統一を目前にした織田信長が、家臣明智光秀の謀反により自刃した事件「本能寺の変」がおきました。

1716年 尾形光琳死去…江戸時代の中期、町人文化が栄えた元禄期を代表する画家で『紅白梅図屏風』『燕子花図屏風』などを描いた尾形光琳が亡くなりました。

1882年 ガリバルディ死去…フランスやオーストリアなどに支配され、たくさんの国に分れていたイタリアを、イタリア王国として統一させたガリバルディが亡くなりました。

1953年 エリザベス2世戴冠…1952年にイギリス国王に即位したエリザベス2世女王の戴冠式が、ロンドンのウェストミンスター寺院で行なわれました。女王パレードには、100万人以上の人が歓迎したと伝えられています。元首の地位は名義的なものであっても、イギリス連邦の団結や各国との親善の役割には大きなものがあります。

投稿日:2011年06月02日(木) 06:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)