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「ロシア音楽の父」 グリンカ

今日6月1日は、歌劇『ルスランとリュドミラ』など、国外で広い名声を勝ちえた最初のロシア人作曲家グリンカが、1804年に生まれた日です。

現ウクライナ・スモレンスク県の貴族で、広大な土地を所有するの家庭に生まれたミハイル・グリンカは、子どもの頃から音楽に興味を持っていました。民謡の好きな乳母に育てられたこと、雇い人である農奴たちが演奏する民謡を聞く機会に恵まれたことが、グリンカに音楽の素地を与えたのでしょう。経済的に恵まれていたグリンカは、若いうちからピアノ、バイオリン、声楽、指揮、作曲を手がけるようになりますが、正式な音楽教育はほとんど受けていませんでした。

ペテルブルクの貴族寄宿学校に学び、1822年に故郷へもどって役人となって働きながら、地元の小楽団に入り、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンの交響曲を演奏しているうち、音楽を本格的に学びたいと考えるようになりました。ところが父親の大反対にあい、あきらめかけましたが、原因不明の病気を患い1828年に役人をやめ、転地療養を理由にイタリアへ渡りました。そのうち病も癒えて、イタリア音楽に刺激されて、オペラ、声楽、ピアノをこころゆくまで学びました。やがて諸外国で勉強する機会がうまれて、芸術的に進んだ西ヨーロッパの文化を吸収することができました。

しかし外国をめぐるうち、グリンカの心にロシア人としての誇りが芽生えてきました。モスクワに攻め入ろうとするナポレオン軍との5年にわたる祖国戦争で、いち早く国民軍を結成したスモレンスク軍がナポレオン軍を追いやった少年時代の思い出、懐かしい民謡がよみがえり、ロシア的な作品を書きたいという強い思いがわきあがったのです。

1836年に作曲された『皇帝に捧げた命』は、最初のロシア語オペラで、部分的にはロシア民謡に基づいているものの、伝統的なイタリア様式で構成されているものではありましたが、大成功の上演でした。そして、6年後の1842年にオペラの第2作『ルスランとリュドミラ』を発表、民謡の自由な活用によるしっかりした作曲様式は高く評価され賞賛されました。特に『ルスランとリュドミラ・序曲』は、軽快で歯切れのよいリズムが好評で、今も演奏会の人気曲の一つになっています。この2つのオペラは、共にロシア最大の詩人プーシキン原作の台本によるものでした。

こうしてグリンカの祖国愛に満ちた音楽は、名高い「ロシア5人組」(バラキレフ、キュイ、ムソルグスキー、リムスキー・コルサコフ、ボロディン) ら次世代のロシア人作曲家らに引き継がれ、はっきりとしたロシア的特質のあるクラシック音楽の一派を創造していくのです。


「6月1日にあった主なできごと」

1864年 洪秀全死去…アヘン戦争でイギリスに敗北して威信を失った清(中国)南部に、平等な世界を理想とする「太平天国」の建設をめざし、14年間にわたり革命運動をおこした洪秀全が亡くなりました。

1947年 初の社会党内閣…片山哲単独一人内閣として1週間前にスタートした内閣でしたが、この日民主党など3党連立による閣僚人事が決まり、初の社会主義首相による内閣が本格的に発足しました。片山はクリスチャンで、キリスト教的人権思想と社会民主主義の融合を実践した代表的な人物の一人ですが、内閣は翌年3月までの短命に終わりました。

1968年 ヘレンケラー死去…生後19か月で目・耳・口の機能を失いながらも、著述家、社会福祉事業家として活躍した ヘレンケラー が亡くなりました。

投稿日:2011年06月01日(水) 06:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)