児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  おもしろ落語 >  首屋

首屋

「おもしろ古典落語」の23回目は、『首屋(くびや』というお笑いの一席をお楽しみください。

江戸時代に、自分の首を売って歩くという不思議な男がおりました。風呂敷包みをひとつしょって、町にやってきました。「くびーっ、首屋でござーい。首・くび、首はいりませんか」

こんな調子で、番町あたりまでやってきます。むかしは、このあたりは旗本屋敷が多かったところで、この売り声を、ある殿様が聞きつけました。「これ、三太夫、あれへまいる者が、首…くびやと申しておる。おかしな稼業があらわれたものじゃ」「いえ、それはお聞きちがいでございましょう。首屋ではなく、栗屋でございましょう」「いや、そうではない。たしかに首と申しておる。もし首ならば、もとめてつかわすから、よく調べてまいれ」

「ははぁ、承知つかまりました。……冗談でしょう、ばかばかしい。誰が、世の中に二つとない自分の首を売る人間なんかいるものですか…、これこれ、それへまいる商人」「お呼びでございますか?」「そのほう、いったい何を商う?」「首でございます」「栗であろう?」「いえ、あたしの首を商います」「これは驚いた。さようなれば、殿がおもとめになるかもしらん。とにかく、わしといっしょにこの門の中へ入って、庭先にひかえておれ」「どうかよろしくおとりなし願います」

首屋はいわれた通り、庭にしゃがんでおりますと、殿様が縁側に出てまいりました。「これこれ三太夫、首を商うというのはこの者か?」「御意の通りでございます」「さようか、これ、町人、即答をゆるすぞ。そのほう、いかなる理由で首を売ろうというのか」「へぇ、たいしたわけでもねぇんでございますが、何をやってもうまくいかないんで、いっそのこと、自分の首を売ったほうがよかろうかと……」「ふーん、さようか。しからば、いったいいくらで、その首を商うのじゃ」「七両二分でございます」「して、その金子(きんす)は、身よりの者へでもとどけてつかわすのか」「いいえ、あっしが頂戴いたします」「その方、首を斬られて死ぬのであろう。金子など必要ではあるまい」「いえ、死ねば私が行くのは地獄でございましょう。『地獄の沙汰も金次第』と申しまして、金があれば、鬼も少しはやさしくしてくれるかと思いますので」

「おもしろいことを申すやつじゃ、三太夫、しからば金子をつかわせ」「…どうもありがとうございます。では、こういう具合に、金をすっかり胴巻にしまって腹にぴったりおしつけておきます」「しからば、用意はよいか」「へぇ、まことにおそれいりますが、切り戸を開けたままにして、もういっぺん娑婆のほうを見せていただきたいのでございます」「よし、そうしてつかわすぞ、では、過日もとめた新刀をためしてみるによって、…念仏か題目でもとなえたらよかろう」「いいえ、それにはおよびません。すっぱりおやりになってくんなさいまし」殿様は、白鞘(しろざや)の刀の柄を払って、庭に下りくると、ひしゃくの水を鍔(つば)ぎわから切っ先までかけさせます。

「首屋、覚悟はよいな」…殿様が「えいっ」と斬り下ろしてくる刃を、首屋はひらりとかわし、後ろへ飛びのいて風呂敷包みから張り子の首をほうりだすと、一目散に逃げ出しました。「ややっ、これは張り子の首ではないか、買ったのはそっちの首だ」

「いえ、こちらは看板でございます」


「5月26日にあった主なできごと」

1180年 以仁王・源頼政の死…保元の乱、平治の乱を経て 平清盛 が台頭、平氏政権が形成されたことに対し、後白河天皇の皇子以仁王(もちひとおう)と源頼政が打倒平氏のための挙兵を計画。これが露見して追討を受け、宇治平等院の戦いで敗死しました。しかしこれを契機に諸国の反平氏勢力が兵を挙げ、治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)が6年間にわたって続き、鎌倉幕府誕生の前哨戦となりました。

1467年 応仁の乱…10年以上も続いた日本最大の内乱といわれる 応仁の乱 が、本格的な戦闘に入りました。

1877年 木戸孝允死去…西郷隆盛、大久保利通と並ぶ「維新の三傑」の一人で、明治新政府でも活躍した 木戸孝允 が亡くなりました。

1933年  滝川事件…京都帝国大学の滝川(たきがわ)教授の休職を、国が一方的に下す思想弾圧事件滝川事件がおきました。京大事件とも呼ばれます。

投稿日:2011年05月26日(木) 06:06

 <  前の記事 「旧ユーゴスラビア」 をまとめたチトー  |  トップページ  |  次の記事 バイオリンの鬼才・パガニーニ  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2409

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)