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「旧ユーゴスラビア」 をまとめたチトー

アドリア海をはさんでイタリアと向かいあったところに、6つの共和国(スロベニア・クロアチア・ボスニア=ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビア、マケドニア)からなり、いくつもの民族が違った言葉をもつ「ユーゴスラビア」という国がありました。今日5月25日は、この複雑な国を一つにまとめあげ、たくましい社会主義連邦共和国に育てあげた政治家チトーが、1892年に生まれた日です。

クロアチアの貧しい農家に生まれたヨシップ・チトーは、15歳のときから、かぎづくり職人の見習いになって働きはじめました。22歳の年の7月、第1次世界大戦が始まりました。チトーは、戦争には反対でしたが、戦場ヘおくられました。ところが、重傷を負ってロシア軍の捕虜となってしまいました。チトーが、自分の生きる道を発見したのはこのときです。

ロシアで、労働者たちが政府をうちたおす革命がおこり、これを見たチトーは、働く者が幸せになる社会の建設のために生きていくことを、心に誓ったのです。戦争が終わって祖国へ帰ると、共産党へ入って、革命家への道を歩みはじめました。36歳のときは、ひみつの政治活動がとがめられてとらえられ、6年ものあいだ、牢獄に閉じこめられました。でも、革命への情熱の火は消しませんでした。

1939年に始まった第2次世界大戦では、「祖国ユーゴスラビアは、他の国を武力で侵略する帝国主義の戦争に、決して巻きこまれてはならない。そして、どこの大国にも味方をしない」ことを宣言しました。しかし、ドイツ軍が侵略してきました。チトーは、いくつもの民族の心をひとつにまとめ、祖国愛にもえる「パルチザン」というゲリラ部隊をひきいて戦いつづけ、ドイツ軍を国から追いだすことに成功しました。

「すべての労働者が幸せになる、社会主義国家を建設しよう」──と、戦争が終わった1945年、連邦人民共和国を宣言して首相になったチトーは、社会主義の政治をおし進めました。やがて、同じ社会主義国のソ連ともはなれ、世界のどんな大きな勢力にもよりかからない中立主義をかかげて、平和主義にもえる国家を建設していきました。アメリカの勢力とソ連の勢力がにらみあっている冷戦を、世界の平和のために、にくんだのです。

1963年、新しい憲法を定め、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が生まれました。このときチトーは、偉大な力がたたえられて終身大統領にえらばれ、その後も、ヨーロッパやアジアの中立国が、世界の第三勢力として固く団結していくことを、10年も、15年も叫びつづけました。「大国の支配をこばんだ巨人」──これが1980年5月、87歳の生涯を終えたチトーへ、世界の人びとがささげた言葉でした。

しかし、チトーの死後、民族・国家・宗教のちがいなどから内紛がつづき、1991年から今世紀はじめまで、20数万人の死者と200万人もの避難民を生み出して国土が荒廃しました。ようやく6つの共和国が2006年までに独立、ほぼ復興を果たして、EU(ヨーロッパ連合)と協調しながら、新しい歩みをはじめています。


「5月25日にあった主なできごと」

1336年 楠正成死去…鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した河内の武将で、後醍醐天皇による「建武の新政」の立役者だった 楠木正成 が亡くなりました。この日摂津国湊川(現在の神戸)で、九州から東上した足利尊氏の軍勢が、対立する楠正成・新田義貞軍と衝突(「湊川の戦い」)、尊氏軍が勝利して正成は自害しました。

1910年 大逆事件…信州の社会主義者・宮下太吉ら4名が明治天皇暗殺計画が発覚したとして、この日逮捕されました。この事件を口実に社会主義者、無政府主義者、思想家に対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、20数人を逮捕。この政府主導の弾圧は「大逆事件」と呼ばれ、幸徳秋水 ら12名が処刑されました。

投稿日:2011年05月25日(水) 06:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)