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ビクトリア時代

今日5月24日は、イギリス史上65年という最長の王となったビクトリア女王が、1819年に生まれた日です。女王在位の時期は「大英帝国」の絶頂期だったため「ビクトリア時代」といわれます。

ジョージ3世の4男ケント公エドワードの娘として生まれたビクトリア女王(幼名アレクサンドリナ)は、1837年伯父のウィリアム4世の死去により18歳で即位、1840年に結婚したアルバート公との相性もよく、円満な家庭生活を送ったばかりでなく、子どもたちもヨーロッパ各国との婚姻によって、晩年は「ヨーロッパの祖母」と呼ばれました。

18世紀後半にはじまった「産業革命」により、1歩も2歩も他国をリードして「世界の工場」の地位を確立したイギリスは、1877年にインドを女王が皇帝を兼ねる「インド帝国」として実質的な植民地としました。さらに、エジプト支配、南アフリカの植民地化、カナダやオーストラリアをイギリス本国からの移民が治める自治領とするなど、強大な海軍力を背景に圧倒的な力で広大な地域を支配するに至りました。当時の国際政治は、イギリスがどんな立場に立つか、どの勢力を支援するかによって決定されるほど発言権が強く、そのため世界は、イギリスを筆頭とする資本主義諸国と、それに従属する地域に二分されるようになりました。この時代は「パックス=ブリタニカ」(英国の平和)と呼ばれるほどです。

政治面でも、イギリスは2大政党による「議会制民主主義」を定着させています。トーリ党を前身として地主層を基盤とする「保守党」と、ホイッグ党を前身とする資本家層を基盤とする「自由党」の2党が交互のように政権を担当したため、どちらも労働者の支持を得て優位に立ちたいと、政策面でも反映されました。選挙法改正もそのひとつで、男性都市労働者ばかりでなく男性農業・鉱業労働者も選挙権を獲得、労働組合の合法化もいち早く実現させています。

ビクトリア女王は、よきアドバイザーだった夫のアルバート公が1861年に亡くなったとき、一時女王の職務から離れましたが、まもなく復帰して、保守党のディズレーリの政治に共鳴して彼を愛するようになりました。一方、自由党のグラッドストンを嫌って意見の対立をたびたびおこしましたが、「君臨すれども統治せず」という立憲君主制の原則を守りぬき、1901年に国を栄光に導いた人生を閉じたのでした。


「5月24日にあった主なできごと」

1409年 李成桂死去…高麗末の武官で、李氏朝鮮という王朝を開き、朝鮮の基礎を築いた 李成桂 が亡くなりました。

1543年 コペルニクス死去…当時主流だった地球中心説(天動説)をくつがえし、太陽中心説(地動説)を唱えたポーランド出身の天文学者 コペルニクス が亡くなりました。

1949年 満年齢の採用…「年齢の唱え方に関する法律」が公布され、従来の「数え年」から、「満年齢」に変わりました。数え年は、生まれた年を1歳とし、新年をむかえるたびにひとつ歳をとる数え方に対し、満年齢は、生まれたときは0歳、誕生日がくると1歳を加える数え方です。

投稿日:2011年05月24日(火) 06:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)