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「戦いの神」 坂上田村麻呂

今日5月23日は、平安時代初期の武将で、初の征夷大将軍となった坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が、811年に亡くなった日です。

8世紀の終わりころまで、蝦夷地(えぞち・東北地方) にむかしから住んでいる人たちは蝦夷(えみし)とよばれ、この蝦夷は、ときどき反乱を起こして、日本を統一しようとする朝廷を困らせていました。朝廷は、その東北に秋田城や多賀城をきずいて、蝦夷をおさえようとしました。しかし蝦夷は、朝廷へ刃向かうことをやめようとはしません。

坂上田村麻呂は、この蝦夷を討った平安時代の武将です。「見あげるほどの大きなからだ。鷹のようなするどい目。黄金のひげにおおわれたあご。にらめば猛獣もたちまち倒れ、笑えば赤ん坊もなついた」と伝えられている田村麻呂は、中国からの渡来人の子孫でした。

田村麻呂が、桓武天皇 の命令で初めて東北へ向かったのは、33歳のときでした。大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)を征東大使にすえ、田村麻呂は副使として、蝦夷との戦いに加わったのです。

田村麻呂は、「5年まえには、5万の兵を向けながら負けている。こんどこそ、おまえたちの力で蝦夷をしずめてくるのだ」という天皇のことばを胸にしまって、兵を進めました。戦いは、それまでにない大勝利でした。しかし、まだ蝦夷を完全にしたがえたわけではありませんでした。

801年、田村麻呂は、ふたたび大軍をひきいて、東北へ進軍しました。こんどは副使ではなく、征東大使の名を改めて新しく任命された征夷大将軍です。戦いのうまい田村麻呂が攻めてくると知って、蝦夷軍は、北へ北へ逃げました。しかし、田村麻呂はどこまでも追いつづけて敵の大将を捕えました。そして、秋田城と多賀城のほかに胆沢城と志波城を新しくきずいて、蝦夷の反乱に目を光らせるようにしました。

桓武天皇は、こうして蝦夷が静まったのを、どれほど喜んだかしれません。都へ帰った田村麻呂は、朝廷のすべての軍を指揮する長官から正三位へ進み、さらに、大納言の位にまでのぼりつめました。

「死んだのちも朝廷を守る、わしが死んだら都が見えるところに、武将のすがたで立ったままうめてくれ」──こういって田村麻呂は、53歳で世を去りましたが、この遺言通り、その亡きがらは棺を立ててほうむられました。

死後も平安時代を通じて優れた武人として崇められ、「学問の神」の 菅原道真 ─「戦いの神」の田村麻呂と、文武のシンボルとされたばかりか、征夷大将軍のよび名は、そののち武士の最高位となりました。


「5月23日にあった主なできごと」

1663年 殉死の禁止…徳川4代将軍家綱は、「武家諸法度」を改訂し、古くから武士の美徳とされてきた「殉死」(じゅんし・家来などが主君の後を追って自決すること)を禁止しました。

1707年 リンネ誕生…スウェーデンの博物学者で、動植物の分類を学問的に行って「分類学の父」といわれるリンネが生れました。

1848年 リリエンタール誕生…大型ハングライダーを開発して自ら操縦し、航空工学の発展に貢献したドイツの リリエンタール が生まれました。

投稿日:2011年05月23日(月) 06:50

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)