今日8月10日は、大型ハングライダーを開発して自ら操縦し、航空工学の発展に貢献したドイツのリリエンタールが、1896年に試験飛行中に墜落して亡くなった日です。
オットー・リリエンタールは、1848年ドイツ系ユダヤ人として、ドイツ(当時プロイセン)北東部の都市アンクラームに生まれました。少年のころから鳥の飛行にあこがれ、弟グスタフといっしょに鳥の飛行を観察・記録をするようになりました。
1868年、ベルリンの工業アカデミーという学校に入学して物理学を学び、特に力学という物体間に働く力やそれによっておこる運動の研究に興味をおぼえました。やがて、ベルリンで機械工場の経営に成功すると、たくわえた資金をつぎこんで、飛行の基本的な実験を開始しました。
1889年には『飛行術の基礎としての鳥の飛しょう』を著し、飛行に関する基本理論をまとめました。この本は、回転腕による曲面の空気力の考察といった個所など、今もなお重要な資料とされています。そして、そのころから固定翼グライダーの製作をはじめ、何度も改良を重ねましたが、成功にはいたりませんでした。
そして1893年、ベルリンから鉄道で1時間ほどのドッセ河畔にある高さ15メートルほどの丘に飛行場所を移して、この丘からの飛行実験に成功しました。翌年には、自分の工場近くに、いまも残る人造丘を築いて練習を重ねました。そんな努力の甲斐があって、当時から盛んになったグライダーによる滑走競走では、200回以上も飛んだリリエンタールにかなう者はありませんでした。
リリエンタールのグライダーはハング方式で、搭乗者は腕で機体につかまり、つり下げた下半身を前後左右に振って制御するものでした。機体が右へ傾いたときは下半身を左へ振って回復しますが、これは右へ足を振り出したくなる本能とは反対の操作をしなくてはなりません。その部分を改良した新方式の単葉グライダーで試験飛行に挑んだのが、1896年8月9日のことでした。
あいにく折からの突風のために墜落、脊髄損傷のため、翌日ベルリンの病院で亡くなってしまいました。リリエンタールは、まさに自らの生命を航空にかけた先駆者でした。
リリエンタールの研究成果は、ライト兄弟 に引き継がれ、やがて動力による飛行機の発明につながるのです。
「8月10日にあった主なできごと」
708年 和同開珎…日本最古の鋳造貨幣「和同開珎(かいちん)」の使用が開始されました。
1232年 御成敗(貞永)式目制定…鎌倉時代の執権 北条泰時 は、武士の権利、義務、罰則などを51か条に定めた日本で初めての武士の法律『御成敗式目』を制定しました。その後長い間、武家社会に関するとり決めるときのお手本となりました。
1693年 井原西鶴死去…江戸時代に「浮世草子」とよばれる庶民のための小説を数多く著した 井原西鶴 が亡くなりました。
1830年 大久保利通誕生…明治維新をおしすすめた西郷隆盛、木戸孝允とともに「維新の三傑」とよばれ、明治新政府の土台をささえた指導者 大久保利通 が生まれました。