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しわい屋

「おもしろ古典落語」の18回目は、『しわい屋』というお笑いの一席をお楽しみください。

「しわい屋」というのは、ケチ、しみったれのことで、けちん坊、赤にしや、吝嗇(りんしょく)、ガリガリ亡者……等など、いろいろな悪口がありますが、「6日知らず」というのがあります。どうして6日知らずなのかといいますと、日を数えるとき、指を1日、2日、3日、4日、5日と数えて握ったら、6日…と、いったん握ったものを、はなすのはいやだ、だから「6日知らず」だそうで、何とも世の中にはケチな人がいるもんです。

「小僧や、雨戸を修繕するんだ、お向いへ行って、金づちをかりておいで」「へい、行ってまいりました。でも、貸してくれません」「どうしてだ?」「鉄の釘を打ちなさるか、竹の釘を打ちなさるかっていうんで、雨戸を修繕するっていってますんで、鉄の釘でしょう。そしたら、それではお貸しできませんな。鉄と鉄でコチコチやられたら、金づちが減っちまいますから…ってんです」「何てまぁしみった野郎だ。しかたない、家のを使おう」どっちが、しみったれかわかりません。

ケチを自慢してる人たちがいます。「エー、つかぬことをうかがいますが、あなたは、どんなおかずでごはんを食べます?」「あっしは梅干です」「梅干をどんなふうにして?」「1日に1つずつ食べますな」「どんなふうに?」「朝めしのときに半分いただきます。昼に半分、で、晩は種をしゃぶって、それだけでは足りませんから、種を割って、中味をみんないただいてます」「そりゃ、ぜいたくだ」「これで、ぜいたくですか?」「そうですよ、日に梅干一つとすると、年に365つぶだ、同じ梅干をおかずにするんなら、もっと倹約しなくちゃ」「どんなふうに?」「いいですか、ごはんをよそったら、梅干をじっとにらむ。すると、だんだん口の中にすっぱい水がたまってくる。そうしたら、その勢いで、ごはんを食べてしまう。こうすりゃ、梅干は少しも減らない」何とも、あきれたものです。

「あなたの持ってる扇子は、どのくらいお使いになりますか?」「この扇子は10年使います」「で、どんな具合に?」「半分開きまして、最初の5年使います」「ほほう」「それがだめになったら、残りの半分を開いて、これを5年使います。都合10年」「ふーん、しかし、扇子の半開きっていうのはおもしろくないね。あたしなら、威勢よく全部開いちゃう。扇子を動かすと痛みが早いから、自分で首のほうを振る」 実にどうも、ものすごいのがいるもんです。

「こんばんは」「はいはい、いらっしゃい。お名前はおっしゃらなくても、声でわかります。門口は開けてますから、お入んなさい」「なるほど、開いてますな」「そりゃそうですよ。あたしが帰ってきて戸締りをする、また、あなたがいらしてそれを開ける、中へ入って閉める。帰る時に開けて、また閉める。そんなことをくりかえしてたら、戸も敷居もすりへってしまいますな。だから、ずーっと開けっぱなし」「こりゃ、恐れ入りやした」

「それにしても、真っ暗ですね」「家じゃ、夜になっても明かりはつけない」「でもこれじゃ、あなたがどこにいらっしゃるかわかりませんな」「手の鳴る方においでなさい。手なんかいくらたたいても減るもんじゃない。それどころか、だんだん皮が厚くなったら、ぞうりの裏張りに使えます。ちょっとしんぼうしてると、暗闇でもだんだん見えてくる……」「ほんとうだ、見えてきました。おや、驚いた、あなたはだかですか」「そう、年中はだか、表へ出るときだけ着物をきます」「寒いでしょうな」「いや、寒くなんかない。こっちへきて、あたしの身体をさわってごらんなさい、汗がでてるから…」「汗? あぁ、ほんとうだ。どういうわけで」「あたしの頭の上をごらんなさい」「何かぶらさがってますな」「たくあん石。あれを今にも切れそうな細びきでぶらさげてありますので、すわっていると、細びきが切れて、頭の上に落ちてきやしないかと、いつも冷や汗をかきつづけというわけでな」「いゃー、こんなとこにゃ危なくて、長居はしていられない、おいとまします」「お帰りですか、じゃこの薪をお持ちなさい」「これをどうしようってんです」「あなたの目と鼻の間をぶんなぐるんです」「そんなことしたら目から火がでる」「火が出たら、その火で履きものをさがしなさい」「いや、ご心配ご無用、たぶんそんなことだろうと思って、あたしは下駄をはかずにまいりました」

「裸足できなすったか、たぶんそうだろうと思って、こっちも、畳を裏返しにしておいた」


「4月6日にあった主なできごと」
 
1483年 ラファエロ誕生…ルネサンス期を代表する絵画、建築はじめ総合芸術の天才といわれるラファエロ が誕生しました。1520年に亡くなった日でもあります。

1896年 第1回オリンピック開催…古代ギリシアで4年に1度開催されたスポーツ競技を復活させようと、フランスの クーベルタン による提唱で国際オリンピック委員会(IOC)が1894年につくられ、この日ギリシアのアテネで近代オリンピック第1回大会が開かれました。参加国14か国、競技種目43種目、選手数240人と、小規模なものでした。

1919年 非暴力・非服従運動…インド独立運動の指導者 ガンジー は、支配国イギリスに対する非暴力・非服従運動を開始しました。この日、反英運動への取り締まる法律が施行されたのに、断食をして抗議したのをはじめ、イギリス製品の綿製品をボイコットして、伝統的な手法によるインドの綿製品を着用することを自ら糸車をまわして呼びかけるなど、不買運動を行いました。

投稿日:2011年04月06日(水) 06:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)