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叙情詩の三好達治

今日4月5日は、『測量船』『駱駝の瘤にまたがつて』など、西洋近代詩の感覚を日本の伝統的な叙情に活かした詩人 三好達治が、1964年に亡くなった日です。

1900年大阪市に生まれた三好達治は、父が小規模な印刷業を営んでいましたが、しだいに没落したため大阪市内で住まいを転々としました。幼い頃に養子にだされましたが、病弱のために家にもどされました。小学時代も欠席がちでしたが、図書館に通って夏目漱石ら多くの文学作品を読みふけることで、文学への素地ができたのは幸いでした。しかし、大阪市内の中学に入学するものの学費が続かず2年で中退、陸軍幼年学校をへて、1920年陸軍士官学校に入学するものの脱走事件を起こして逮捕され、2か月間陸軍刑務所に収監の後、退校処分となりました。

1922年、旧制三高(現・京都大学教養学部)に入学、丸山薫を通じて、詩の魅力にひきこまれて詩作を始め、室生犀星や萩原朔太郎を熟読しました。東京帝国大学仏文科に進学すると、三高時代の友人梶井基次郎らと同人誌『青空』を発刊、投稿した詩のいくつかが注目されるようになり、1928年に卒業すると創作活動に専心します。そして、翌年にボードレールの散文詩集『巴里の憂鬱』の全訳を著わし、一般読者を魅了させました。その翌年処女詩集『測量船』を刊行、[太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ](「雪」)など、39編の詩は、昭和の散文詩に新風をふきこむ名詩集として高い評価を受けるとともに、詩人の名も広く知れわたるようになりました。

1934年、堀辰雄らと詩の雑誌『四季』を創刊、まもなく立原道造や萩原朔太郎、中原中也も加わって、当時の詩壇を代表するグループとなりました。その後、達治の詩風は、『艸(くさ)千里』『一点鐘』など格調高い響きをもつ古典的な抒情詩へと移り、口語体から文語体に詩体をかえました。

達治は、亡くなる前年1953年に芸術院賞を受賞した『駱駝の瘤にまたがつて』など10数冊の詩集の他に、詩歌の手引書として『詩を読む人のために』、評論『萩原朔太郎』などを遺しています。


「4月5日にあった主なできごと」

1976年 四五天安門事件…中国の首都北京にある天安門広場で、1月に亡くなった周恩来をいたむためにささげられた花輪を撤去されたことに対し、民衆と警察が衝突、政府によって暴力的に鎮圧された「天安門事件」がおこりました。1989年6月4日に起きた「六四天安門事件」と区別するため、第1次天安門事件ともいいます。

1998年 明石海峡大橋…神戸と淡路島を結ぶ全長3911m、世界最長の吊り橋「明石海峡大橋」が開通しました。四国と淡路島を結ぶ大鳴門橋とともに、本州と四国を結ぶ3つのルートの一つとなっています。

投稿日:2011年04月05日(火) 06:57

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)