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オリザニンと鈴木梅太郎

ビタミンB1が不足して体の先のほうの神経がおかされ、足がしびれたり、むくんだりする脚気(かっけ)は、医学が進んだ今では何でもない病気ですが、江戸時代にはこの脚気で多くの死者をだし、明治に入ってもまだ、原因不明のおそろしい病気でした。今日4月7日は、ビタミンB1が脚気の治療に効果があることをつきとめ、脚気の不安から人びとを救った農芸化学者 鈴木梅太郎が、1874年に生まれた日です。

静岡県の農家に生まれ、幼いときから勉強が好きだった梅太郎は、14歳のとき、学問の志をおさえきれず、こっそり家を出て東京へ行きました。そして、次の年には、両親や兄を説きふせて東京農林学校(1890年から東京帝国大学農科大学)へ進み、栄養学を学びました。「植物は、土と空気から養分を吸うだけだ。それなのになぜ、その植物から砂糖、でんぷん、たんぱく質などが、とれるようになるのだろうか」──梅太郎が農林学校で学ぶ決心をしたのは、こんなことに疑問をいだいたからだといわれています。

22歳で大学を卒業した梅太郎は、5年後にヨーロッパへ渡り、ドイツではベルリン大学の化学者フィッシャーのもとで、たんぱく質の研究をつづけました。そして、32歳で帰国すると、東京帝国大学の教授などをつとめながら、米の研究を始めました。

留学中に「西洋人にくらべて、日本人は、どうして体格が悪いのだろう」と考え、さらにドイツを去るとき、フィッシャーに「日本人なら、日本人のための研究をしてみなさい」といわれ、日本人の主食について研究することを、思いたったのです。米の栄養について調べていくうちに、白米を食べる人に脚気がおおいことをつきとめました。

「玄米を食べる人には脚気は少ない。これは、白米にするときに、脚気を予防する成分を、とりのぞいてしまうからだろう」──こう考えた梅太郎は、精米のときにとりのぞく、糠(ぬか)や胚芽の研究にとりくみ、36歳のときに、糠から、のちにオリザニンと名づけられた成分をとりだすことに、成功しました。

しかし、脚気は伝染病だと思われていた時代でしたから、梅太郎が「この成分の不足が脚気になるのだ」ととなえても、だれも信用しません。人びとが、梅太郎の研究に注目するようになったのは、1年後にイギリスで、オリザニンと同じ成分の、ビタミンの研究が発表されてからのちのことでした。

55歳のときビタミンB1の結晶化にも成功した梅太郎は、酒類防腐剤のサルチル酸、米を使わない合成酒(理研酒)、殺虫剤コクドール、強化パンなどを作り、合成食物による食糧問題の改善に取り組んだ功績などで1942年に文化勲章を受け、その半年後に69歳で亡くなりました。


「4月7日にあった主なできごと」

1133年 法然誕生…平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で「浄土宗」を開いた法然が生まれました。

1506年 ザビエル誕生…1549年、日本に初めてキリスト教を伝えたスペインのイエズス会宣教師ザビエルがフランスとスペインとの国ざかいのナバラ王国(1512年にスペインにほろぼされた)に生まれました。

1882年 小川未明誕生…『赤いろうそくと人魚』 『野ばら』 『月夜とめがね』 など1000編近い童話を著した小川未明が生まれました。

1894年 宮城道雄誕生…『春の海』など、琴を主楽器とする日本特有の楽曲(箏曲<そうきょく>)の作曲者、演奏家として世界に名を知られた宮城道雄が生まれました。

1945年 戦艦大和撃沈…大日本帝国海軍が建造した排水量6万8千トンという当時世界最大の戦艦「大和(やまと)」は、この日沖縄にむけて出撃途上、屋久島沖でアメリカ航空機部隊386機の集中攻撃を受けて3000人の将兵とともに、海底深く沈没しました。

1947年 フォード死去…流れ作業による自動車の大量生産を成功させ、世界一の自動車会社を創立したフォードが亡くなりました。

投稿日:2011年04月07日(木) 06:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)