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初天神

「おもしろ古典落語」の11回目は、『初天神(はつてんじん)』というお笑いの一席をお楽しみください。天神様というのは、学問の神様といわれる菅原道真公のことで、その天神様を祀ってあるお宮が天満宮です。新年になってから、天満宮にはじめてお詣りにいくことを「初天神」といい、とくに25日が天満宮の縁日のため、1月・2月の25日には、おおぜいの人たちがお詣りでかけました。

「おい、おっかぁ、ちょっと羽織を出してくれよ」「うるさいね、この人は。羽織をこしらえたら、どこへ行くにも着たがるんだからね、どこへ行くんだい?」「これから、天神様へお詣りに行こうとおもってね、初天神だ」「あら、そうかい。じゃ金坊を連れてっておくれよ。家にあの子がいると、悪さばかりして困るんだよ」「いやだよ、あんな生意気な奴はいないよ、親の顔がみてぇくらいだ」「それがあんたじゃないか」「おれの子にゃちげぇねぇが、あれが他所(よそ)のもんだったら、おらぁいっしょの家にいないね、連れて行くのはいやだよ」「そんなこといわないで、連れてっておくれよ」

「ヘへへ…、おとっつぁんとおっかさん、いい争いをしてますね。あの、一家に波風が立つというのはよくないよ、ご両人」「聞いたか? 親をつかまえてご両人だとよ、あっちへ行って遊んでな」「おとっつぁん、どっかへ行くんだろ?」「行かないよ」「行きますよ、羽織をきてるもん。連れてっておくれよ」「だめだったらだめ、おとっつぁんはこれから大事な仕事に行くんだから」「うそだぁ、今日は仕事にあぶれてるの知ってるもん。初天神へ行くんだろ、連れてっておくれよ」「おまえがぐずぐずいうから、見つかったじゃないか」「いいじゃないの、連れてったら」「簡単にいうなよ、こいつはどこ行っても、あれ買ってくれ、これ買ってくれって、うるさくてしょうがないんだよ」「そんなこといわないから、おとっつぁん連れてっておくれよ」

とうとう、何も買わない約束で、金坊を初天神に連れて行くはめになりました。天満宮の境内には、人がたくさん出ていて、屋台もたくさん出ています。そのうち、あんのじょう「大福買って、みかん買って」と、はじまりました。両方とも毒だと突っぱねると「じゃ、飴買って」飴はここにはないというと「おとっつぁんの後ろ」飴屋がニタニタしています。「こんちくしょう。今日ぐらい休め」「冗談いっちゃいけません。今日はかき入れです。どうぞ坊ちゃん、買ってもらいなさい」一個一銭の飴を、おとっつぁんが大きいのを取ってやるといって「これか? こっちか?」といじりまくるので、飴屋は渋い顔。金坊が飴をなめながらぬかるみを歩き、着物を汚したのでしかって引っぱたくと「痛え、痛えやい……何か買って」泣きながらねだっています。飴はどうしたと聞くと「おとっつぁんがぶったから落とした」「どこにも落ちてねえじゃねえか」「腹ん中へ落とした」

今度は凧(たこ)をねだります。往来でだだをこねるから閉口して、一番小さいのを選ぼうとすると、金坊と凧屋にうまく結託されて一番大きい凧を買わされるはめになり、帰りに一杯やろうと思っていた金を、全部はたかされてしまいます。

金坊が大喜びで凧を抱いて走ると、酔っぱらいにぶつかりました。「このがき、凧なんか破っちまう」と脅かされ、金坊が泣きだしたので「泣くんじゃねえ。おとっつぁんがついてら。ええ、どうも相すみません」そこは父親、平謝りに謝ります。そのうち、今度はおやじがぶつかって、金坊「それ、あたいのおやじなんです。勘弁してやってください。おとっつぁん、泣くんじゃねえ。あたいがついてら」

そのうち、おやじの方が凧に夢中になり「あがった、あがったい。やっぱり値段が高えのはちがうな」「あたいの」「うるせえな、こんちきしょうは。あっちへ行ってろ」

金坊、泣き声になって「こんなことなら、おとっつぁん連れて来るんじゃなかった」


「2月25日にあった主なできごと」

903年 菅原道真死去…幼少の頃から学問の誉れが高く、学者から右大臣にまでのぼりつめたものの、政敵に陥れられて九州の大宰府へ左遷された平安時代の学者 菅原道真 が亡くなりました。

1000年 一条天皇2人の正妻…平安時代中期、政治を支配していた関白の 藤原道長 は、長女の彰子(しょうし)を一条天皇に嫁がせ、孫を天皇にしようと画策していましたが、この日藤原定子(ていし)を一条天皇の皇后に、彰子を中宮として、ともに天皇の正妻としました。

1670年 箱根用水完成…5年にもわたるノミやツルハシでトンネルを掘る難工事の末、芦ノ湖と現在の裾野市を結ぶ1280mの用水路箱根用水が完成しました。幕府や藩の力を借りずに、延べ人数83万人余という農民や町民の手で作り上げ、現在に至るまで裾野市とその周辺地域に灌漑用水を供給している技術は、高く評価されています。

1841年 ルノアール誕生…フランスの印象派の画家で、風景画や花などの静物画から人物画まで、世界中でもっとも人気の高い画家の一人  ルノアール が生まれました。

1953年 斉藤茂吉死去…写実的、生活密着的な歌風を特徴とするアララギ派の歌人の中心だった 斎藤茂吉 が亡くなりました。

投稿日:2011年02月25日(金) 06:45

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)