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ねずみ

「おもしろ古典落語」の10回目は、『ねずみ』という、名工・左甚五郎にまつわるお笑いの一席をお楽しみください。

江戸・日本橋橘町の大工・政五郎の家に十年もの間居候をしていた左甚五郎。その政五郎が亡くなり、今は2代目のせがれの後見をしていますが、もともと旅が好きなため、まだ見ていない奥州・松島を見物しようと、伊達六十二万石のご城下・仙台までやってきました。

「おじさん、旅の人でしょ」と声をかけてきたのは、12、3歳の子どもです。「ああ、見ての通りだ」「どっかへ泊まるんでしょ、どうせ泊まるんなら、わたしのうちぃ泊まってくださいな」「おう、坊やは宿の客引きさんかい、どこへ泊まってもおんなじだ、じゃ今晩は、坊やんとこへ泊めてもらおうかな」「泊まってくれますか、でも、家はあんまり大きくありません。それに座敷もきれいじゃありません」「ああいいとも。一晩くらいなら、狭くっても、きたなくってもかまやしないよ」

「おじさん、寝るときに、ふとんを敷いたり掛けたりしますか?」「変なことを聞くなよ、宿屋へ泊まりゃ、ふとんを敷いたり掛けたりするの、あたりまえだろ」「じゃ、すいません、二十文ください」「前金かい?」「そういうわけじゃなくて、布団屋に借りがありますから、おあしを持ってかないと、布団貸してくれないんです。で、おじさん今晩寒い思いをしたくないと思ったら、二十文だしたほうがおためでしょ」「そうか、よしよし、わかった。正直でいいや、あいよ」「へい、すいません。ほんとうなら、家までおじさんを案内しなくちゃいけないんですけど、おじさんを案内したり、布団屋へいったりしてると、遅くなりますから、一人でいってください」

何かわけがありそうだと、子どもに教えられた道を行ってみると、「ねずみ屋」という宿屋はなるほどみすぼらしくて、掘っ建て小屋同然。いっぽう前にある「虎屋」という大きな旅籠(はたご)は、大繁盛しています。案内をこうと、顔を出した主人がいうには、自分は腰をぬかしてあまり動けないし、使用人もいないから、申し訳ないが、そばの川原で足をすすいでほしいというので、ますますびっくり。その上、子どもが帰ってきて、ご飯を炊いたり魚を焼いたりすると時間がかかるから、自分たち親子の分まで入れて寿司を頼まないかといい出します。甚五郎は苦笑して、寿司5人前と酒を用意するようにと、二分の金を渡しました。

年はもいかない子どもが客引きをしているのが気になって、それとなく事情を聞くと、この主人は、卯兵衛(うへえ)といって、もとは前の虎屋のあるじだったといいいます。5年前に女房に先立たれ、女中頭を後添いにしたのが間違いのもと。悪い女で、番頭と密通し、たまたま七夕の晩に卯兵衛が、二階の客のけんかを止めようとして階段から落ちて足腰が立たなくなり、寝たきりになったのを幸い、親子を前の物置小屋に押しこめ、店を乗っ取ったのだといいます。

「ふーん、世の中にはひどい奴がいるもんだね。で、『ねずみ屋』ってのはどういうわけで」「へぇ、虎屋は番頭に乗っとられましたが、こちらは物置でございまして、ねずみがたくさんおりまして、そこをせがれと私がのっとったようなもんですから、ねずみに義理をたてまして、『ねずみ屋』といたしました」「なるほど、おもしろい名前だね。ときに、おとっつぁん、端切れがあるかい」「鼻紙ならございますが」「鼻紙じゃない、端切れ、板っ切れのようなもんだよ」「へえへ、物置でございましたので、そういったものは、あそこの隅にたくさん…」「そうかい、一人でも二人でも、お客さまの気を引くように、あたしがねずみを彫ってみよう」「お客さまは、彫りものをなさるんですか。そういえば、まだ宿帳をおつけしていませんでしたが、ご生国はどちらで?」「飛騨の高山です」「お名前は?」「江戸日本橋橘町、大工政五郎内甚五郎、とつけてください」「えっ、あの…日本一の左甚五郎さまで」

金銀を山と積まれても、自分で仕事をしようという気にならなければ、のみを持とうとしない人ですが、一文の金にならなくても、自分がその気になったからには、魂を打ちこんで仕事にかかる人です。こうして、甚五郎は、一晩部屋にこもって見事な木彫りのねずみをこしらえ、たらいに入れて上から竹あみをかけさせ、ふらりと立ち去りました。

さあ、このねずみが、たらいの中で歩きまわるというので、『左甚五郎の福ねずみ』と評判になって、後から後から客が来て、たちまち「ねずみ屋」は大繁盛。新しく使用人も雇い、裏の空き地に建て増しするほどの勢い。逆に「虎屋」はすっかりさびれてしまいます。「虎屋」の主人は、なんとかねずみを動かなくしようと、仙台一の名工に大金を出して頼み、大きな木の虎を彫ってもらいました。それを二階に置いて「ねずみ屋」のねずみをにらみつけさせると、どうしたことか、ねずみはまったく動かなくなったのです。

この野郎と、怒った拍子に腰がピンと立った卯兵衛は、江戸の甚五郎に「あたしの腰が立ちました。ねずみの腰が抜けました」と手紙にしたためたところ、不思議に思った甚五郎、2代目政五郎を伴ってはるばる仙台にかけつけ、虎屋の虎を見ました。ところが、目に恨みをふくんでいて、それほどいい出来だとは思えません。そこでねずみに、「あたしはおまえに魂を打ちこんで彫ったつもりだが、あんな虎が恐いのかい?」というと、

「えっ、あれ、虎ですか? てっきり、あっしは猫だと思いました」


「2月23日にあった主なできごと」

1685年 ヘンデル誕生…バッハと並びバロック音楽の完成者といわれ、ドイツに生まれイギリスに帰化した作曲家 ヘンデル が生まれました。

1784年 漢委奴国王の金印…福岡県の小島・志賀島の農民が、田んぼの用水路で金印を発見し、黒田藩の殿様に差し出しました。そこには「漢委奴国王」と彫ってありました。金印は、1954年から「国宝」に指定されています。

1836年 アラモの戦い…アラモの砦に立てこもるデイビィ・クロケットら182人のアメリカ・フロンティア義勇軍に対し、3000人ものメキシコ正規軍が攻撃を開始し、義勇軍は13日後に全滅。ただし、メキシコ軍も大打撃を蒙り、この地にテキサス共和国ができることになりました。そして1845年、テキサスはアメリカ合衆国と合併、テキサス州となりました。

投稿日:2011年02月23日(水) 06:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)