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大山詣り

「おもしろ古典落語」の4回目は、人気の高い一席『大山詣り(おおやまいり)』です。大山は丹沢山塊の東にあり、1253メートルの山の中腹にある神社は、商売繁盛にご利益があるということで人気のスポットでした。

(長屋の連中が大家の吉兵衛を先達に、大山詣りに出かけることになりました。去年もでかけましたが、熊さんが酒に酔って、けんかざたをおこしたために、今年は、怒ったら二分の罰金、けんかをすると丸坊主にするという罰則を決めます。行きはまず何事もなく、無事に山から下り、帰りの東海道は神奈川宿に泊まりました。ところが、江戸に近づくと、みんな気がゆるんで大酒を食らい、大家が心配しているところへ、熊が風呂場で大立ち回りをやらかしたという知らせがきました。ぶんなぐられた留が、今度ばかりはどうしても野郎を坊主にすると息巻くのを、江戸も近いことだからと大家はなだめますが、みんなの怒りは収まらず、暴れ疲れてぐっすり寝こんでいる熊の頭を、クリクリ坊主にしました。翌朝、目を覚ました熊は、「ゆんべのことは何一つ覚えていないが、それにしてもひでえことをしやがる」と頭に来て、そそくさと支度をするや駕籠を仕立て、途中でのんびり道中の長屋の連中を追いこして、江戸の長屋へ帰りました)

「おう、今帰ったぜ」「あら、お帰んなさい。ばかに早かったね。いま、みんな集まって、これから品川まで迎えに行くところだったんだよ」「迎えに? そいつはちょっと待ってくんねぇ。それより、こんど行った連中のかみさんたちを家へ集めてもらいたいてぇんだ。いやいや事情はあとで話すから、急いでみなさんのお耳にいれたいことがありますから顔を出してくれってな」「そうかい、じゃ、呼んでくるよ」

「おや、熊さんお帰んなさい」「おやおや、皆さん、ごいっしょで…、何しろ家が狭ぇから両方に分かれてすわってくんねぇ」「熊さん、どうしたの、頭に手ぬぐいなんか巻いて」「ええ、この手ぬぐいについちゃ、事情(わけ)ありなんで…、実は、みんなの顔を見るのも面目なくて口も聞けねぇ始末なんだ。どうかまぁ、話をしまいまで、何にもいわずに聞いていただきてぇんで…。

いや今年のお山は、いいお山でした。天気も都合いいし、無事済んで、さぁこれから江戸へ帰ろうってんで藤沢へきたとき、だれがいい出したともなく、金沢八景を見よう、とこういうんだ。八景を見たあと、せっかくここまで来たんだから、舟に乗って米が浜のお祖師さんへお詣りしようってことになった。ところが、虫が知らせたのか、舟に乗ろうというときになって、おれはどうも腹ぐあいが悪くってしょうがねぇから、舟宿で寝てることにした。みんなゆっくり遊んできてくれ、と待っていたところが、まもなく、土地の漁師の話だ。…舟が烏帽子島のちょっと先へ出た時分、急に黒い雲が出たと思うと、疾風(はやて)がものすごい勢いで吹き、波は高くなって、舟は大きな横波をまともに受けて横っ倒し…まぁ騒いじゃいけねぇ、静かにしてくんねぇな…。

漁師の話によると、江戸の人たちの舟がひっくりかえったと、浜辺の者が手分けしてあっちこっちを捜しまわったが、死骸もわからねぇ…、さっきまで一つの鍋のものを食い合った友だちが死んじまって、おれ一人、のめのめと江戸へ帰ぇれるもんじゃねぇ…みんなの後を追って、海へ飛びこんで死のうとは思ったけれど、江戸で首を長くして亭主を待っているおめえさんたちのことを思うと、このことを知らせなくちゃぁと、恥をしのんで帰ってきたんだ」

「あらまぁ…だから、あたしゃ、今年はやりたくなかったんだよ。けどねぇ、やらなければみんなに嫉妬(やきもち)のように思われるからやったんじゃないか…わぁー」「まぁ、まぁ、泣くのはおよしよ。泣くのはちょいとお待ちったら、なんだねぇ、そんな大声を上げて…この人のあだ名を知ってるかい? この人はホラ熊、チャラ熊、千三つの熊なんていわれているじゃないか…ちょいと熊さん、そんないい加減なこといって泣かせておいて、日がくれてからみんな揃って帰ってくると、おまえさん舌でも出そうってんだろ」

「ね・ね、姉さん、そりゃ、おまえさんをかついだこともあるがね、人間、生き死にのウソはつきませんぜ…そんなに疑うんなら、みんなが死んだって証拠をお目にかけましょう」「証拠? あるんなら見せてごらんよ」「ええ、見せますとも、あっしゃ、おまえさんたちにこの話をしたあと、かかぁを離縁して、明日ともいわず、これから高野山へ登って、みんなの菩提(ぼだい)を弔うつもりなんだ。見てくれぇ…この通り坊主になってきたんだ、これでも疑ぐるのかい」

(これを見たかみさん連中は、ワッと泣きだします。熊は、それほど亭主が恋しければ、尼になってお祈りするのが一番とみんなを丸めこみ、自分のかみさん以外の女たちを一人残らず丸坊主にします。そして、寺から借りてきた衣を着て、にわかごしらえの尼さんたちの真ん中に入って、かねをたたきながら、なむあみだぶつ…とお経をあげます。いっぽう亭主連中は、長屋に帰ってみると、なにやら念仏の声が聞こえます)

「念仏たぁ、気持ちのいいもんじゃねぇな。やっ、念仏は熊公の家だぜ、障子の穴からのぞいてやれ…あの真ん中に座ってるなぁ、いやに熊公に似てやしないかい? また、まわりにずいぶん坊主を集めやがったなぁ…ありゃ、坊主は坊主でも尼さんばっかりじゃねぇか」「えっ、そんなに尼さんが集まってるのか、ちょっとおれにものぞかせろいっ、あれっ、この正面で泣いているのは民さんとこの姉さんにそっくりだぜ」「なに? おれのかかぁ? その隣は大家さんとこの姉さん、やや留んとこのかみさんもいるぜ、あれっ、大変だ、かみさんをみんな坊主にしやがった、おーい、みんなたいへんだぞっ」

(熊の仕返しと知ってみんな怒り心頭。連中が息巻くのを、大家の吉兵衛さんが止めに入りますと…)

「冗談いいなさんな、大家さん。おまえさんの姉御さんはもう婆ぁだから、そうやってすましていられるだろうが、おれなんざ、かかぁの水の垂れるような銀杏返しを見るのが楽しみで帰ぇってきたんだ。それをこの野郎に…どうしたって、熊を張り倒さなければ腹の虫がおさまらねぇ」「いやいや、そんなに怒ることはない。これはほんとうにおめでたいことなんだから」「かかぁを坊主にされて、どういうわけでめでてぇんだ」

「お山は晴天、家へ帰りゃぁ、みんなお毛が(怪我)なくっておめでたい」


「1月26日にあった主なできごと」

1788年 囚人の移民…イギリスから、初めてオーストラリアに移民団がポートジャクソン湾(現シドニー)から上陸しました。このうち約半数は、犯罪を犯した囚人たちでした。これにちなんで「オーストラリアの建国記念日」となりました。

1823年 ジェンナー死去…牛痘にかかった人の膿を少年に接種 (種痘) し、天然痘という伝染病を根絶させるキッカケを作ったイギリスの外科医ジェンナーが亡くなりました。

1948年 帝銀事件…帝国銀行(現在の三井住友銀行)の東京豊島区にあった椎名町支店で、「近くの家で赤痢が発生したので予防薬を飲んでもらう」と偽って銀行員12名を毒殺、現金16万円などが強奪される事件がおこりました。8月になって画家平沢貞通が逮捕され、死刑が確定しましたが執行されないまま1987年に獄死。支援者はいまだに冤罪を叫び、再審請求を続けています。

投稿日:2011年01月26日(水) 07:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)