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『フランダースの犬』 のウィーダ

今日1月25日は、不朽の児童文学といわれる『フランダースの犬』を著したイギリス出身の女流作家ウィーダが、 1908年に亡くなった日です。

ウィーダ(本名ルイーズ・ド・ラ・ラメー)は1839年、フランス人の父とイギリス人の母の子としてイギリスのサフォーク州に生まれました。20歳の頃から小説を書き始め、1863年にデビュー作となるロマンス小説『囚れの身となって』を発表し作家活動に入りました。子どもの頃に、自分の名前のルイーズをうまく発音できずに「ウィーダ」といっていたのを、ペンネームにしたといわれています。

ロンドン社交界で話題を集めるほどはなやかな活躍をしましたが、1870年頃に父が亡くなったため、イタリアのフィレンツェに移住、犬が大好きで、イタリアの動物愛護協会設立に尽力するほどでした。1872年に『フランダースの犬』を出版しましたが、刊行当初はあまり話題にはなりませんでした。生涯に『ニュールンベルクのストーブ』『銀色のキリスト』をはじめ40冊以上の物語を執筆していますが、今も読みつがれているのは、『フランダースの犬』だけといってもよいほどです。晩年は人間不信となって犬だけが心の支えとなりましたが、たくさんの飼い犬の食費に経済的に破綻、1908年に肺炎をこじらせて亡くなりました。

『フランダースの犬』のあらすじは、次の通りです。

ベルギーのフランダース地方の小村に、寝たきりの祖父と暮らす15歳の少年ネルロは、忠実な老大パトラッシュの引く荷車で、牛乳を町へ売りに行くことで、わずかの収入を得ていました。しかし、いつかベルギーが誇るルーベンスのような画家になることを夢見ていました。

ネルロのただ一人の親友は、風車小屋の一人娘12歳の少女アロアでしたが、アロアの父は家柄が低く貧しいネルロのことを快く思っていません。ある日、ネルロがアロアの肖像画をかいているのを見つけると、その絵をとりあげてしまいました。

仕事を終えたあとのネルロは、毎日小屋で、懸命に絵の勉強を続け、倒木に腰掛ける木こりのおじいさんの快心の絵をかきあげ、年に一度開かれるアントワープで開かれる絵画コンクールに出品しました。入選したら200フランという大金がもらえるのです。

でも、クリスマスを数日後に控えた日に祖父が亡くなり、楽しいはずのクリスマスの前日に、家賃を滞納していた小屋から追い出されることになってしまいました。さらに、アロアの父の所有する風車小屋の穀物倉庫が全焼する事件がおき、ネルロが放火したというぬれ衣を着せられてしまいます。その日は、絵画コンクールの結果発表日でもありました。渾身の力作が入選すればみんなに認めてもらえると、これに全ての望みをかけたネルロでしたが、入選者にネルロの名はありませんでした。

傷心のネルロは厳しい吹雪の中を村へ向かう道すがら、パトラッシュは大金の入った財布をくわえ出します。アロアの父の財布でした。ネルロはそれをアロアの家に届け、パトラッシュを預かってくれるように頼んで、再び雪夜の闇の中へ飛び出して行ってしまいました。全財産の入った財布が見つからずに絶望して帰宅したアロアの父は、これまでネルロに行ってきた数々のむごい仕打ちを悔やみ、翌日ネルロの身元を引き受けに行く決心をするのでした。さらに、コンクールでネルロの才能を認めた著名な画家が、ネルロを引き取って養育しようとやってきたのです。

でも、何もかもが手遅れでした。全てを失ったネルロは、あこがれのルーベンスの祭壇画が飾られている大聖堂へ向かい、パトラッシュはネルロを追って風車小屋を逃げ出します。

クリスマスの翌朝、アントワープ大聖堂を礼拝に訪れた人々は、祭壇画の前で、犬を固く抱きしめたまま、冷たくなっている少年と老犬を発見したのでした……。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、『フランダースの犬』(菊池寛訳)を読むことができます。


「1月25日にあった主なできごと」

901年 菅原道真左遷さる…右大臣として活躍していた「学問の神様」として名高い 菅原道真 は、左大臣藤原時平のたくらみにより、「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れぞ」の句を残し、京都から筑紫の大宰府に左遷されました。

1212年 法然死去…平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で、南無阿弥陀仏をとなえれば、人間はだれでも来世で極楽浄土に生まれかわることができると説く「浄土宗」を開いた 法然 が亡くなりました。

1858年 御木本幸吉誕生…「真珠王」と呼ばれ、真珠の養殖とそのブランド化に成功した 御木本幸吉 が生まれました。

1885年 北原白秋誕生…『赤い鳥小鳥』『あわて床屋』『からたちの花』など800編もの童謡の作詞を手がけた詩人・歌人の 北原白秋 が生まれました。

1907年 湯川秀樹誕生…日本で最初にノーベル賞にかがやいた理論物理学者 湯川秀樹 が生まれました。

1957年 志賀潔死去…赤痢菌を世界で初めて発見したことで知られる細菌学者 志賀潔 が亡くなりました。

投稿日:2011年01月25日(火) 07:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)