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「大逆事件」 と幸徳秋水

今日1月24日は、明治時代の社会主義者で、天皇の暗殺を企てたという疑いにかけられた幸徳秋水が、ちょうど100年前(1911年)に処刑された日です。

「資本家だけが自由で豊かな生活を楽しみ、働く人びとは不自由で貧しい生活に苦しむ世の中のしくみは、まちがっている。人間は、みんな平等でなければいけない」

明治時代の中ごろから、このように考える社会主義が起こりました。1871年に高知県で生まれた幸徳秋水は、この考えを、日本で初めてとなえた社会主義者のひとりです。

秋水が10歳になった年に、民主主義の政治を求めて自由民権運動を進めてきた、高知県出身の 板垣退助 が、自由党を結成しました。秋水は、この退助を子どもながらに尊敬するようになり、しだいに、政治に心をひかれる少年に育っていきました。

16歳のとき、わずかなお金をふところに、家をとびだしました。そして、いちど東京へでたのち大阪までもどり、退助とともに自由民権をとなえてきた 中江兆民 の書生になりました。早く父を亡くしていた秋水は、政治や漢学の教えを受けながら、兆民を父のように慕ったということです。

1898年、27歳になった秋水は、社会主義を主張する「万朝報」へ入り、東京で新聞記者として活動を始めました。また、結成されたばかりの社会主義研究会にも加わり「われは社会主義者なり」と名のって、権力に矢を向けた記事を書きつづけました。

1901年には、同じ考えの人びとといっしょに、社会民主党をつくりました。日本で初めての社会主義の政党でした。しかし、このときの伊藤博文内閣の力で、その日のうちにつぶされてしまいました。秋水は、横暴な国家権力に歯ぎしりしました。でも、くじけませんでした。

やがて、日本が日露戦争へ向かって歩み始めると、万朝報で勇かんに戦争反対をさけび、さらに、万朝報社の社長が国の勢いに負けて戦争賛成をとなえると、こんどは 堺利彦 らと「平民新聞」を発行して、あくまでも戦争反対を訴えつづけました。

ところが、およそ1年で、平民新聞は発行禁止を命じられたうえに、秋水はついにとらえられ、5か月のあいだ刑務所に入れられてしまいました。しかし秋水は、まだ屈せず、刑務所をでるとアメリカへ渡り、半年後に帰国してからは、さらに鋭く、すべての国家権力に反対する無政府主義をとなえるようになりました。でも、これが命とりになってしまいました。

1910年、なかまと天皇暗殺の計画をたてていたという理由で、ふたたびとらえられ、つぎの年、絞首台に送られてしまったのです。歴史に残る「大逆事件」です。いまでは、このとき秋水は無実だったといわれています。


「1月24日にあった主なできごと」

1848年 ゴールドラッシュ…アメリカのカリフォルニア州の大工が偶然に金を発見し、これがきっかけとなって歴史に残るゴールドラッシュのきっかけになりました。1849年には一獲千金をねらう8万人もの人々がカリフォルニアをめざしたといわれています。

1965年 チャーチル死去…第2次世界大戦の際、イギリス首相として連合国を勝利に導くのに大きな力を発揮し、『大戦回顧録』の著書によってノーベル文学賞を受賞した チャーチル が亡くなりました。

1972年 横井庄一発見…太平洋戦争の時の日本兵・横井庄一が、グアム島で発見されました。1944年に上陸してきたアメリカ軍に追われ、島の奥地のジャングルに隠れ、自給自足のくらしを28年も送っていたのです。降伏を恥とする旧日本軍の教えを忠実に守って帰国した横井の第一声は「恥ずかしながら生きながらえて帰ってきました」でした。

投稿日:2011年01月24日(月) 07:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)