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「戦争反対」を叫び続けた堺利彦

今日11月25日は、「日露戦争」や「満州事変」など、戦争に強く反対した社会主義者の堺(さかい)利彦が、1871年に生まれた日です。

福岡県の士族の家に生まれた堺は、「自由民権運動」(国会開設を求め、民主主義をめざした運動) の感化を受けながら育ちました。地元の中学を首席で卒業して第一高等中学校に入学しますが、飲酒や遊びにふけって中退。その後は、一家の柱となって、大阪で小学校教師や新聞記者を勤めました。

1899年から東京の新聞社「萬朝報(よろずちょうほう)」に入社し、家庭や生活の改善、女性の地位向上などの記事を書きました。同僚に 内村鑑三 や幸徳秋水がいて、1901年に3人が中心となって、社会主義をめざす「理想団」という組織を作りました。

当時、日露戦争の開戦がさしせまっていました。「萬朝報」が主戦論に傾くと、戦争反対をとなえていた堺は、幸徳とともに退社して、1903年「平民社」を創立しました。そして週刊「平民新聞」を発行して反戦運動を展開します。その頃から、社会正義と平和のためには、社会主義を実現することが大切だと考えるようになり、創刊1周年記念号に幸徳と共訳の『共産党宣言』(マルクス・エンゲルスの著書)を掲載しました。

さらに、1906年には日本社会党を結成して評議員となりましたが、政府による社会主義への弾圧が進み、翌年に同党は解党され、1908年には「赤旗事件」(社会主義者の象徴とされていた赤旗を所持していたため) で逮捕され、2年間入獄を余儀なくされてしまいました。しかし、これが幸いして「大逆事件」(天皇の暗殺を計画したとして幸徳ら12名が処刑された事件) の難をのがれました。

出獄した堺は、社会主義運動がむずかしくなった「冬の時代」をしのぎ、さまざまな随筆や評論を書きながら、弾圧がゆるやかになる時機を待ちました。第1次世界大戦中に、民主主義を求める民衆の運動が盛んになると、わかりやすい言葉で、社会の仕組みや政治のありかたを考えさせる文章を次々に発表して、大衆を啓蒙していきます。

1922年には「日本共産党」を創立して初代委員長になり、このころから精力的にマルクス主義思想の普及に努めました。しかし、1923年「第一次共産党事件」(政府による弾圧事件)で検挙され、保釈出獄後に共産党から離れて、合法的な政党を組織するようになりました。

1931年に「満州事変」がはじまると、「労農大衆党」の委員長として反戦の姿勢を貫き通しました。しかし1933年、社会主義者への弾圧がきわめて厳しい時代に、終始持論を曲げず、運動の中心となった生涯を閉じたのでした。


「11月25日にあった主なできごと」

1890年 第一回帝国議会の開催…明治憲法発布翌年のこの日、帝国議会が開かれました。議会は、貴族院と衆議院の2院からなり、貴族院議員は皇族・華族、多額納税者などから選ばれました。衆議院の議員は、25歳以上の男子で国税15円以上を納める人に限られるなど、当時の人口のおよそ1パーセントが有権者であるにすぎませんでした。
 
1892年 オリンピック復活の提唱…クーベルタン 男爵は、アテネで古代競技場が発掘されたことに刺激され、スポーツによる世界平和を築こうとオリンピック復活の提言を発表、オリンピック委員会が作られました。

1970年 三島由紀夫割腹自殺…『仮面の告白』『金閣寺』『潮騒』などちみつな構成と華麗な文体で人気のあった作家 三島由紀夫 が、アメリカに従属する日本を憂えて自衛隊の決起をうながすも受け入れられず、割腹自殺をとげました。  

1987年 ハイビジョンの日…高精密度テレビ「ハイビジョン」の走査線が、従来のテレビの走査線525本に対し、1125本であることから、この日が「ハイビジョンの日」と制定されました。

投稿日:2010年11月25日(木) 06:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)