今日11月26日は、スペイン全土を統一し、コロンブス によるアメリカ発見の援助をしたイサベラ女王が、1504年に亡くなった日です。
イサベラは1451年、スペイン北西部にあった「カステリア王国」の王女として生まれました。当時のスペインは、この「カステリア王国」とスペイン東部の「アラゴン王国」、さらに8世紀からスペイン南部を占領していたイスラム教徒の国「グラナダ王国」に分かれていました。
23歳でカステリア王の位についたイサベラは、17歳の時すでに、アラゴン王国の王子と結婚していたため、1479年に夫がアラゴン国王に即位したとき、両国は合併して「スペイン王国」としました。イサベラは夫のフェルナンディ2世とともに、この国を治めることになったのです。
しかし、王国が成立したころは、貴族勢力が大きな力を持ち、国は乱れていました。イサベラは都市住民の協力を得て貴族勢力を抑え、国王の力を強めて国の秩序を回復させました。そして、イベリア半島からイスラム教徒を追い払う戦い(国土再征服運動=ラ・コンキスタ)を10年以上も続けた結果、1492年ついに「グラナダ王国」を滅ぼして、スペイン全土を統一することに成功しました。
この異教徒征服により、ローマ教皇から「カトリック夫婦王」の称号を受けました。イサベラは、宗教裁判をもうけて、イスラム教徒やユダヤ教徒を迫害しましたが、ルネッサンス文化を、野蛮だったスペインに輸入し、学問・芸術・礼儀を盛んにし、自ら勉強にはげみました。
もっとも特筆すべきイサベラの功績は、さまざまな国や貴族らに援助を求めたものの、どこからも受け入れられなかったコロンブスの [西回りでインド到達をめざす航海計画] を受け入れ、後援をしたことです。コロンブスの艦隊は、大西洋を横断し、1492年西インド諸島のサン・サルバドル島に到達し、その結果、中南米のほとんどはスペイン領となって、「太陽の沈まぬ国」とまでいわれた16世紀のスペイン繁栄のきっかけをつかみました。
「11月26日にあった主なできごと」
1086年 院政のはじまり…白河天皇がわずか8歳のわが子に、堀川天皇として位を譲りました。上皇となった白河は、幼い天皇の後見役として政治の実権を握り続けました。上皇のいるところが「院」と呼ばれ、そこで政治が行なわれたために「院政」とよばれます。
1906年 満鉄設立…日露戦争に勝利した日本は、ロシアが建設した東清鉄道を譲り受け、南満州鉄道(満鉄)として経営することになりました。満鉄は、鉄道事業を中心に広範囲にわたる事業を展開、日本の満州(中国東北部)進出の中核となりました。
1911年 小村寿太郎死去…日英同盟、日韓併合の立役者であり、日露戦争が終結したポーツマス講和会議の全権大使を務めた外交官 小村寿太郎 が亡くなりました。
1952年 ヘディン死去…87年の生涯を中央アジアの探検にそそぎ、砂にうずもれた楼蘭の町や、インダス川の水源や、ヒマラヤ山脈の北にあるもう1つの山脈トランスヒマラヤなどを探りあてたスウェーデンの ヘディン が、亡くなりました。