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『若草物語』 のオルコット

今日11月29日は、自伝的な少女小説『若草物語』など、たくさんの楽しい物語を著したアメリカの女流作家オルコットが、1832年に生まれた日です。

ペンシルベニア州に生まれたルイーザ・メイ・オルコットは、4人姉妹の次女として生まれました。父は、「アメリカのペスタロッチ」といわれる個性を尊重する理想主義教育の主唱者でした。4人の娘たちは家族の深い愛情にかこまれ、精神的にゆたかな子ども時代をすごしましました。

ところが1844年に一家はボストンへ移住し、父は実験学校を設立しましたが、あまりに理想的すぎたため経営に失敗して、その負債に苦しみました。一家の暮らしは立ち行かなくなり、オルコットは家計を助けるために、縫いものをしたり、姉たちと塾を開いて教壇に立つかたわら、作家として自立する決心をしました。

23歳のとき、父の友人で思想家として有名なエマソンが、子どもたちに話して聞かせた童話をヒントに『花物語』という処女作を書き上げたほか、いくつかの戯曲を書きました。さらに、1861年に始まった南北戦争中に、奴隷解放を願って看護婦として献身的な働きをした経験をもとにした書簡集『病院スケッチ』を発表しましたが、あまり注目されませんでした。

1867年に児童雑誌の編集長になったとき、出版社から少女向けの小説を書くようにすすめられ、わずか6週間で書き上げたのが『若草物語』でした。この小説は出版されると大評判になり、オルコットはたちまち、少女たちの大好きな「お話のおばさん」になっていたのです。

この物語は、ニューイングランド地方の一家族マーチ家の4人姉妹(メグ・ジョー・ベス・エイミー)が、父親が従軍牧師として南北戦争に行っている1年間に体験した楽しいこと・つらいこと・こっけいな事件・おそろしい災難などをとおし、少女たちが明るく成長していく姿を生き生きと描いた作品でした。それは、オルコット4姉妹をモデルにした自伝的な内容でした。この作品のヒットのおかげで、苦しかった家の暮らしも楽になり、一家に幸せが訪れました。

「メグやジョーは、それからどうなったの?」まるでマーチ家の一員になったかのように物語へとけこんだ読者たちは、オルコットに続編を望みました。そんな期待に応えてオルコットは、1869年に、大人になったマーチ姉妹とそれぞれの結婚について描いた『続・若草物語』、1871年に『第三若草物語』(邦題『昔気質の一少女』)、1886年に『第四若草物語』(邦題『続・昔気質の一少女』)を次々に著し、4部作を完成させたのでした。

しかし、オルコットは1888年、ふとした風邪がもとで亡くなってしまいました。『若草物語』のジョーとちがって、オルコットは一生結婚することなく、家族のために働き続けた人生でした。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、『若草物語』(水谷まさる訳) を読むことができます。


「11月29日にあった主なできごと」

1529年 王陽明死去…儒教の流れをくむ「朱子学」に対し、日常生活の中での実践を通して人の生きるべき道をもとめる「陽明学」という学問の大きな流れを作った思想家 王陽明 が亡くなりました。

1875年 同志社創立…新島襄 らが京都に、キリスト教精神に基づく「良心」を建学精神に掲げ、漢学以外はすべて英語で教育するという「同志社英学校」(現・同志社大学)を創設しました。

1987年 大韓航空機爆破事件…イランのバクダッドから韓国のソウルに向かう航空機が、ミャンマー沖で爆破され、乗員・乗客115人が死亡・行方不明になりました。北朝鮮の工作員金賢姫(キムヒョンヒ)らが実行犯と判明しましたが、北朝鮮は関与を否定しているため、真相は不明のままです。

投稿日:2010年11月29日(月) 07:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)