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続・小噺八席

好評につき、続・小噺(こばなし)を紹介しましょう。

少しばかり頭の弱い親子の会話です。「兄さん、来年のお正月とお盆はどっちが先にくるの?」「そんなこと、来年にならなければ、わかるわけないよ」。それを聞いていた親父「さすがは兄貴だ、考えがしっかりしてる」

浅草の観音さまに泥棒が入って、おさい銭をぬすんだところ、表門で仁王(におう)に捕まりました。「おさい銭をぬすむなんて、とんでもない野郎だ」ぐーっと持ち上げて、落ちたところをふんずけました。泥棒は思わず、プーッと一発。「ううっ、このくせーもの」「へへへへ…、におうか」

「いわしーっ、いわしこ」と売り声をあげながら、魚屋が歩きます。そのあとへ、篩(ふる)いという、粉を選り分ける道具を売る篩屋が「ふるーい、ふるい」と続きます。魚屋が篩屋に「おれの魚が古いみたいじゃねぇーか」と文句をいってるところへ、古金屋がやってきて、私がそのあとに続ければ大丈夫だといいます。
「いわしーっ、いわしこ」「ふるーい、ふるい」「ふるかねー、ふるかね」

国際的な小噺です。「この帽子はドイツんだ」「オランダ」「でもイラン」

けちな男が、鰻屋のとなりに引っ越してきました。毎日毎日、鰻を焼くにおをかいでは、ごはんを食べていました。ところが、これまたけちな鰻屋は [においの嗅ぎ代、五百文] という勘定書きを、男に持っていきました。「なにっ、鰻のにおいをかぐだけで、金を取るってのか」「においをかいで、ごはんを食べてたのを知ってますよ」「よーし、わかった」男は財布から金を出して、手の中で、ジャラジャラ音を立てながら「さあ、この音をよく聞け。音だけだぞー」

「おーい、大変だぁ、大変だぁ」「おおい、どうした」「あ、兄ぃ、今、泥棒を追っかけてるんだ」「泥棒だと、 町内一のお前に追っかけられちゃ、泥棒も災難だな。で、泥棒はどっちへ逃げた」「今、後から来る」

「猫をもらってきたんだが、なにか、強そうな名前はねぇかな」「猫の仲間で一番強いのは、なんたって虎だ」「いや、昔から竜虎の争いといって、虎より竜の方が上だ」「いや、竜より雲の方が強い、竜は雲をつかんで空へのぼるってぇから」「いや、雲より風の方が強い、吹き飛ばしちゃう」「風より壁の方が強い、風を止めちゃう」「壁よりねずみの方が強い、かじって穴あけちまう」「ねずみより猫の方が強い、捕まえて食っちゃう」「じゃあ決まった、こいつの名前は、猫だぁ」

「富士の山へ行ってきました」「偉いですなぁ、お山は晴れてましたか」「すばらしい見はらしでした」「じゃ、うちの2階の物干しの浴衣が見えませんでしたか」「いや、駿河の山のてっぺんから、江戸の物干しは見えませんでした」「いやー、不思議ですねぇ、うちの物干しからは、富士の山はよく見えるんですけど」


「1月7日はこんな日」

「七草がゆ」を食べる日…[せり/なずな(ぺんぺんぐさ)/おぎょう(ははこぐさ)/はこべら(はこべ)/ほとけのざ(たびらこ)/すずな(かぶ)/すずしろ(だいこん)/春の七草] と歌われる7種類の草を入れたおかゆを食べれば、無病息災(病気にならず健康である)という風習です。平安時代以前に中国から伝わったといわれていますが、単なる迷信ではなく、ちょうど正月料理に飽きたころ、冬枯れの季節に青物を補給するという食生活上の効用が指摘されています。


「1月7日にあった主なできごと」

1490年 足利義政死去…室町幕府第8代将軍でありながら政治に興味がなく、11年も続く内乱「応仁の乱」をひきおこすきっかけをこしらえた 足利義政 が亡くなりました。しかし、銀閣寺を建てるなど、東山文化を遺した功績は評価されています。

1835年 前島密誕生…日本の近代郵便制度の創設者で「郵便」「切手」「葉書」という名称を定めた 前島密 が生まれました。

1868年 征討令…1月3日〜6日の鳥羽・伏見の戦いに勝利した維新政府は、この日江戸城にこもった 徳川慶喜 に征討令を出し、同時に諸藩に対して上京を命じました。征討軍の総帥は 西郷隆盛。同年4月11日、徳川家の謝罪を条件に江戸城・明け渡し(無血開城)が行なわれました。

1932年 スティムソン・ドクトリン…アメリカの国務長官スティムソンは、この日「満州における日本軍の行動は、パリ不戦条約に違反するもので、これによって生ずる一切の状態を承認することはできない」との声明を発し、日本政府を弾劾しました。これが、太平洋戦争に至るアメリカの対日基本方針となりました。

1989年 昭和天皇崩御・・・前年から容態が危ぶまれていた昭和天皇が亡くなりました。皇太子明仁親王が天皇に即位し、昭和64年は平成元年となりました。昭和は日本の元号のなかでは最も長い62年と2週間でした。

投稿日:2011年01月07日(金) 09:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)