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『スイスのロビンソン』 のウィース

今日1月11日は、『スイスのロビンソン一家』のお話をこしらえたスイスの児童文学者で牧師のウィースが、1818年に生まれた日です。

1742年、スイスのベルンに生まれたヨハン・ダビット・ウィースは、ベルン大学で神学と哲学を学んだのちに牧師となりました。長男ルドルフら4人の息子をもうけ、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』をヒントに、自分の一家が同じような遭難をしたことを想定したお話『スイスのロビンソン』を書いて、息子たちに話して聞かせました。

『ロビンソン・クルーソー』は、たった一人で無人島に流れ着き、そこでの生活をする話ですが、この『スイスのロビンソン』は、一家6人がいっしょに暮らすところが大きな違いといえます。

牧師で冒険話の語り手である父親、母親、そして4人の男の子(16歳のフリッツ、14歳のエルネスト、12歳のジャック、9歳のフランシス)の一家6人は、帆船でオーストラリアへ向かう途中で難破してしまいました。彼らは、たるを切っていかだをこしらえ、座礁した船から荷物や、犬・乳牛・ヤギなど動物たちを連れて、南海の孤島にたどりつき、島を「新スイス」と名づけて暮らすところからはじまります。

こうして10年近くものあいだ、ありあわせの道具や、島の中で見つけられたものを使って、島をくまなく探険し、手に入ったものを有効に活用していきました。大きな木の上に「タカの巣」と呼ぶ安全な家をつくり、狩りや魚釣りをし、質素であっても快適な生活を楽しむようになっていきます。子どもたちはみな、りっぱな青年に成長していきました。強くて勇敢なばかりでなく、さまざまな学問にもよくはげみました。

ある日、狩りに出かけたフリッツは、1羽のアホウドリの足に手紙がくくりつけてあるのに気がつきました。それがきっかけになって、イギリス人の少女ジェニーと出合います。ジェニーは、3年前に漂着し岩穴の中で、たったひとり暮らしていたのでした。ジェニーはロビンソン家の一員となり、いっそう充実した時間が流れました。

大きな嵐が止んだある朝、イギリス船が島にやってきました。ジェニーを探していたのでした。こうして7人の家族は、国へもどるかどうか、長い間話し合いました。両親と、ジャックとエルネストはこの島「新スイス」に留まって、ここで生活する決心をしました。フリッツとフランシスは、両親たちと別れ、ジェニーと共にヨーロッパに戻る決意をするのです……。


この作品はあくまで、ウィースが息子たちのために執筆されたものでした。これが陽の目をみるようになったのは、のちにベルン大学の哲学教授となった長男ルドルフが、父から聞いた話を整理して、ドイツ語で出版したことからでした。刊行されるや大評判となり、ヨーロッパを中心に大きなブームをひきおこしました。今もこの作品は、『アルプスの少女ハイジ』と並び、スイスの古典的な児童文学作品として、世界じゅうで愛読されています。

なお、『スイスのロビンソン』(抄訳版)は、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「レディバードブックス100点セット」の日本語訳で読むことが出来ます。作品は、1981年に『ふしぎな島のフローネ』(日本アニメーション制作 / フジテレビ系)というタイトルで50話にわたって放送され、好評を博したテレビアニメの原作でもあります。 


「1月11日はこんな日」

鏡開き…歳神様へおそなえしておいた鏡餅を、神棚からおろして雑煮や汁粉にして食べる「鏡開き」の日です。餅は、刃物で切らずに、手で割り開いたり木槌でわったり砕いたりします。武家社会の風習が一般化した行事です。


「1月11日にあった主なできごと」

1569年 謙信が信玄に塩を贈る…5度にわたる「川中島の戦い」を、甲斐(山梨)の 武田信玄 と戦った越後(新潟)の 上杉謙信は、敵である信玄に塩を贈りました。陰謀で塩を絶たれて困っていた武田方を救うためで、このいい伝えから「敵に塩を贈る」ということわざが生まれました。

1845年 伊能忠敬誕生…江戸時代後期の測量家で、日本全土の実測地図「大日本沿海輿地(えんかいよち)全図」を完成させた 伊能忠敬 が生まれました。

1851年 太平天国の乱…清(中国)のキリスト教徒である 洪秀全 が「太平天国」を組織して反乱をおこしました。4、5年後には数十万人もの兵力にふくれあがり、水陸両軍を編成するまでに至りましたが、1864年に鎮圧されました。

投稿日:2011年01月11日(火) 07:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)