今日1月12日は、『オリエント急行の殺人』『ナイルに死す』『そして誰もいなくなった』など、数々の話題作を著したイギリス生まれの推理作家アガサ・クリスティが、1976年に亡くなった日です。
アガサ・クリスティは、1891年にイギリスの南西部の港町トーキィに、アメリカ人実業家の父、イギリス人の母との三人兄弟の末っ子に生まれました。姉と兄はアガサよりも10歳近く年が離れていため、兄弟で幼少期を共にする機会がほとんどありませんでした。
アガサの母は、少し変わった価値観を持つ人で、アガサに正規の学校教育を受けさせなかったばかりか、[7歳になるまでは字が書けない方が良い] と信じるような人でした。そのためアガサは、満足に文字が書けず、友人のいないアガサは、使用人やメイドと遊んだり、家の庭園で空想上の友人との一人遊びをして過ごすなど、内気な少女に育っていきました。しかし、母の指導で、父の書斎にあるさまざまな書籍を読みふけるようになり、幅広い知識を得て、深い教養を身につけることができたのは幸いでした。
15歳のとき、短期間でしたが一家でフランスに移住し、礼儀作法を教える私学校に入ってピアノやダンス、演劇や音楽を学びました。結局アガサは、正規の教育は受けさせてもらえませんでしたが、アガサ自身は、母親を誇りにしていたようです。
やがてアガサは、姉の影響を受けて推理小説に興味を持ちはじめ、24歳のときにクリスティ大佐と結婚してから、推理小説を書きはじめました。初めての小説は、1920年の『スタイルズ荘の怪事件』で、作家としての第一歩を踏み出しました。
その後、父の破産と病死、自身の離婚、そして考古学者との再婚など、さまざまな出来事を乗り越えながら、アガサは小説家として精力的に作品を発表していきました。その作品の多くは、結末の大どんでん返しによって読者をあっといわせるもので、アメリカのエラリー・クイーンらとともに、推理小説の黄金時代を築き上げました。
85歳で亡くなるまでに、アガサが書き下ろした作品は、長編小説66作、中短編小説156作、戯曲15作などで、中でも『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『ABC殺人事件』『そして誰もいなくなった』他は、今なお世界じゅうで版を重ね続けています。ギネスブックは、アガサの著作の販売実績は全世界で10億冊以上、[史上最高のベストセラー作家] に認定しています。
なお昨年は、アガサ・クリスティ生誕120周年に当たり、NHKのBS放送では9月に、アガサ関連の映画を大挙して放送しました。
「1月12日にあった主なできごと」
1628年 ペロー誕生…「長靴をはいたねこ」「眠り姫」「サンドリヨン(シンデレラ)」など、ヨーロッパに伝わっている民話を題材に11のお話を「ガチョウおばさんの物語」という本に著したフランスの詩人、童話作家のペローが生まれました。
1746年 ペスタロッチ誕生…スイスの片田舎で孤児や貧民の子らへの教育に従事するなど、子どもたちへの愛の教育を貫いた ペスタロッチ が生まれました。
1866年 河口慧海誕生…中国や日本に伝承された漢訳の仏典に疑問をおぼえ、仏教の原典を求めて単身ネパールや鎖国中のチベットに入った、仏教学者で探検家の 河口慧海 が生まれました。
1914年 桜島が大噴火…鹿児島の桜島が大爆発をおこし、流失した30億トンという大量の溶岩で、これまで島だった桜島は対岸の大隈半島と陸続きになりました。