1か月ほど前のこと。女子フィギュアスケートの第一人者である浅田真央さんが、ある外国人記者からインタビューを受け、「あなたのアイデンティティは何ですか?」と質問されていました。浅田さんがキョトンとしているのを見て、マネージャーが中に入ってお茶をにごしているテレビの映像をたまたま目にしました。この質問は、大人でも答えにくいのに、16歳の少女が面食らうのは無理もありません。でも、欧米人と少しでも親しくなるとよく聞かれる質問ですので、そういう機会のある方は、自分の答えを用意しておく必要がありそうです。
アイデンティティというのは、心理学用語で「自分は何者であるのか?」、何を精神的なよりどころにしているのか、早い話が「あなたの宗教は何ですか」と聞かれていると思えばよいでしょう。
日本人には無宗教の人が多いので、何も信じていないと答えがちです。ところが、こういう答えをすると、多くキリスト教徒である欧米人の眼には、「何と傲慢な人なのだろう」と色眼鏡で見られがちです。
ですから、初詣にお寺や神社にお参りしたり、彼岸やお盆に先祖のお墓に手を合わせる程度ではあっても、「仏教徒」ですとか「神道」ですと答えれば相手は納得するかもしれません。でも、ちょっとつっこまれたりすると、仏教や神道のことをよく知らないと、これまた立ち往生ということにもなりかねません。
日本では、ひとつの家の中に仏壇と神棚を共存させ、社寺に初詣をし、クリスマスを祝い、教会で結婚式をし、お寺でお葬式をするといった人たちが大多数です。また、朝日や夕日を見て、その厳かさに心打たれて柏手を打ったり、山や海や樹木などの自然に対し合掌したりすることもあります。まさに「八百万の神」、日本人の宗教観のあいまいなところであるのでしょう。こういう自然に対して感謝や畏敬の念をもったりすることを、シンクレティズムとか、アニミズムといわれたり、多くの宗教を受け入れてしまうのは未開の宗教観を持った国民といわれて、日本人は長い間劣等感をいだいてきました。
しかし、歴史の上から見ても、また現代に至るまで、宗教的な対立のために、国や民族がいがみあい、殺し合い、紛糾のもとになっているのは事実です。
今こそ、どの宗教とも敵対することなく受け入れるという、寛容な宗教観を持った日本人の考え方に誇りを持つことが大事なことのように思います。そのため、先のような質問をされると私は、「ジャパニズム」が私のアイデンティティと答え、日本独特の宗教観について話すことによって、理解してもらえたと信じています。
アニミズム的考えが元になっている「千の風になって」が、キリスト教徒の欧米人を熱狂させたこと(4月27日、5月1日号ブログ)は、心強い味方だと思って間違いありません。
日本では宗教をタブー視してきたきらいがあります。大人になってからも、そういう話題から避けようとするのは、教育に根本的な原因があるのではないでしょうか。小中学校の時代に、世界には、キリスト教、イスラム教、仏教の3大宗教や、ヒンズー教、ユダヤ教などいろいろな宗教を信じる人がいること、その教義はどういうものかを教育する必要があるような気がしてなりません。これもまた、日本人が国際社会で生きていくために避けられない道であるとともに、じぶんの意見を堂々と主張するたくましさにつながるように思うのです。