今週も、印象に残ったことを記します。
13年ほど前、200万部を超える大ベストセラーとなった永六輔著「大往生」(岩波新書)に目を通した方は多いことでしょう。この本はご存知の通り、永六輔氏の著となっていますが、大半は無名人語録集というべきもので、老人たちのつぶやきを集めたものといってよさそうです。じつに的確にホンネを収録しているので、ときどき本棚から引っ張りだしてきては、面白がって読んでいます。「二度目の大往生」は「大往生」の続編で、「大往生」の1年後に出版されていますが、この本にこんな文章がでてきます。
「いま新聞を熱心に読んでいるのは老人だ。記者はそのことを忘れているぞ! 新聞社もそのことを忘れているぞ!」
まさか、と思っていましたが、これが現実になりかけているようです。
当社は10数年ほど前から、毎月10種類以上もの日刊新聞や幼児向け雑誌などに、広告を出稿してきました。それが、4、5年前から、新聞広告の反響が急速に少なくなりはじめました。そのため3年ほど前から、出稿を全面的に中止してしまいました。まったくといってよいほど反応がなくなってしまったためです。
私どもの対象としているのは、20代から30代後半くらいまでの、幼い子どもを持つ家庭の親です。この世代の世帯の多くが、新聞を購読しなくなったのでしょう。彼らは、これまで新聞から得ていた情報を、どんなに利用しても月数千円の定額で利用できるインターネットから入手するようになったからに違いありません。最新情報はネットで、詳しい情報はテレビのニュースで補足するというのが、一般化してしまったようです。活字を読んではじめて納得するように育ってきた私どもの世代にとっては、まさに「信じられない」ことで、世の中の変化の大きさに愕然とする思いです。
「二度目の大往生」の先ほどの文の後に、こんな老人のつぶやきが出てきます。
「歳ィ、とってからというもの、朝刊を読んで寝るんですよ。するってェと、目が覚めると夕刊が来るんだよ。こういうのはよくねェと思ってるんですがねェ、体の調子はこれが一番いいんだ」
新聞がこんな老人たちの暇つぶしになってしまうなんて何とも悲しいことですが、これが現実になりかけているのを実感しています。