10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第41回目。
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● 子どもは自分が子やぎになって、みずから母親のやさしさを思う
子どものための世界の聖典といわれるグリム童話は、ヤコブ、ウィルヘルムのグリム兄弟が、ドイツに古くから語り伝えられている昔話を集めたものです。したがって、もともと 「語り聞かせ」 のために生まれたものです。
さて、「おおかみと七ひきの子やぎ」 は、そのグリム童話の中でも、もっとも親しまれている話の一つです。なぜでしょうか。それは、おおかみが、やぎを食い、そのおおかみが最後には殺されるという残酷な話の中に母が子を思う心、子が母を慕う心、つまり母と子の愛が語られているからです。
この話を、まだ一度も聞いたことのない子どもに、絵本を見せながら語り聞かせたらどうでしょう。
おおかみがやってきて 「あけておくれ、おかあさんですよ」 というとこうになると、子どもは、ほんとうに胸をドキドキさせながら聞き入ります。心の中では、きっと 「あけてはだめよ、おかあさんじゃないよ」 と叫んでいるのです。
その次に、とうとう、おおかみが入ってきて末っ子のやぎだけを食べ忘れて、あとの6ぴきを食べてしまうところや、やがて帰ってきたお母さんやぎが、おどろき悲しむところになると、話を聞いている子どもの表情も沈んでしまいます。お母さんやぎの気持ちを思って、いっしょに悲しむのです。
ところが、さいごに6ぴきの子どもが、おおかみの腹の中から元気に現われ、腹に石をつめられたおおかみが井戸に落ちて死んでしまうと、話を聞いていた子どもたちは、やさしい笑顔になって、読み聞かせているお母さんの顔をみつめます。お母さんやぎのうれしさを感じ、それを、目の前の母親のやさしさと重ねあわせてほっとするのです。
このお話を読み終えたあと、子どもに言い聞かせるお母さんがいます。
「この子やぎたちは、お母さんやぎの言うことを、よく聞かなかったから、こんなめにあったのよ。だから、これから、○○ちゃんも、お母さんの言うことを、よく聞くのよ」
しかし、この言いきかせは全く無用のことです。そんなことを言いきかされなくても、子どもは、かわいい子やぎのことを心配したお母さんやぎのやさしさと、みんなを助けてくれたお母さんやぎの強さを通して、ごく自然に、お母さんにすがりつきたいような気持ちを発酵させているのですから。
おおかみに襲われて死の恐怖にさらされながら、お母さんやぎの力で助けられた七ひきの子やぎたち。子どもは読み聞かせに耳をかたむけているあいだ、自分がすっかり子やぎになって、自分たちを心配してくれた、お母さんやぎの心を思うのです。
日常の生活のなかで、お母さんはいろいろなことを子どもに言い聞かせます。しかし、その言い聞かせは、たいていの場合、子どもにとっては実感をともなわない、いわば親のおしつけです。だから、言い聞かせたあと、子どもに 「いいわね、わかったわね」 と、だめを押します
すると、子どもは 「わかったわよ─」 などと答えて、わかったことにしてしまいます。
こんなことを考える時、すばらしい本を通じて、だれかが 「教える」 のではなく、物語を通じて子ども自身がみずから 「わかる」 ことのすばらしさを再認識せずにはおれません。