10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第49回目。
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● 人にやさしくすることの美しさ、むずかしさ
「おにたのぼうし」(あまんきみこ作・岩崎ちひろ絵 ポプラ社刊) の内容は、つぎの通りです。
おにたは、まこと君の家の天井に住みついた、心のやさしい黒鬼の子。節分の夜 「おには─そと─」 と豆をまかれて雪の道へ逃げだしたおにたは、古い帽子でつのをかくし、母親が病気で豆まきもできない貧しい女の子の家へごちそうを持って訪ねます。女の子はごちそうを喜んでくれました。ところが自分も豆まきをしたいと言いだしました。鬼を追いはらわないと母親の病気が重くなると思ったのです。
おにたは、女の子からもきらわれたのが悲しくてしかたがありませんでした。でも、女の子の願いをかなえるために、帽子の中に黒いいり豆を残して自分はそっと消えていきました。
もう何十年も前から読みつがれている絵本です。この『おにたのぼうし』を読んだ子どもたち(1年生) は、だれもが、おにたの心のやさしさに、あたたかい思いを寄せています。
「おにたは、ほんとうはにんげんのこどもがすきで、ともだちになりたかったんだよね。それなのに、あんなにやさしくしたおんなのこにまできらわれて、しぬほどかなしかったんだとおもいます。こんど、ぼくがまめまきするときは、わるいおにはそとっていうからね」
「おにたは、かなしくて、かなしくてしかたがなくて、じぶんが、まめになって、しんでしまったのです。おにたののこしたまめをまいたら、きっと、かなしいおとがしたとおもいます」
「おにたくん、こんどうまれたら、ぼくのうちへきてください。きっと、なかよくできるとおもいます」
子どもたちは、おにたが、かわいそうでしかたがないのです。おにたが黒い豆になって消えてしまったところで 「ぼくは、なみだがでそうになりました」 「おにたのかなしさをかんがえると、いつのまにか、なみだがでてきました」 とさえ語っています。
子どもたちは、おにたを外からながめているのではありません。自分自身がおにたになって、その悲しさをいっしょうけんめいに受けとめているのです。
子どもたちは、もう一つ.すばらしいことを学びとっています。
「だれもほめてくれないし、だれもありがとうといってくれないのに、だまって、いいことをするなんて、おにたは、えらいなあとおもいました」
「わたしは、なにかいいことをしたとき、だれもほめてくれないと、つまらないなあとおもってきました。でも、おにたくんのことを、しって、それだけではないということが、わかりました」
「おにたくんのような、やさしいこころに、どうすればなれるのかな。おにたくんに、きけたらいいなあとおもいました」
「ひとがしあわせになるなら、じぶんはどうなってもいい。これが、ほんとうの、おもいやりなんだね。おにたくん、たいせつなことをおしえてくれて、ありがとう」
子どもたちは、たった1冊の絵本から、いわば無償の愛の美しさ大切さを学びとったのです。
この絵本を幼稚園で子どもに読み聞かせたところ、子どもたちの間に、人のためにだまってよいことをするのがはやったという話があります。子どもたちの心は、それほどに純粋なのかもしれません。
「おんなのこは、おにたがきらいじゃなかったんだよね。びょうきのおかあさんのことが、しんぱいだっただけなんだよね」 とも語っている子どもたち。
人にやさしくすることのほんとうの美しさと、むずかしさを知ったのです。
なおこの絵本は、「えほんナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=154