10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第50回目。
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● 子どもの「みずみずしい心」を摘み取っているのはだれですか。
次の詩は小学4年生の男の子が書いたものです。
「けしょう」
パタパタ ポンポン シュー
母のけしょうがはじまった
ひどい土台にクリームぬって
口べにぬって
おしろいつけて
スプレーかけて
けしょうしてる
「けしょうするのはハエが一番で
ネコが二番で
女が三番っていうけど
ほんとやな」
と ぼくがいった
すると 母は
「ハエやネコに負けられるかいな」
と、パタパタやりだした
ぼくは あきれて二階にあがった
この詩を読んでふきださない人はまずいないでしょう。でも、この詩は、ユーモラスなだけではありませんね。読んだ人の体がひとりでにぬくもってくるような、やさしさとあたたかさにあふれています。
この詩は、たしかに、すぐれた詩です。しかし、すべてのお母さんに忘れないでほしいことがあります。それは、このような詩は特別な子しか書けないのではなく、子どもが本来もっている 「みずみずしさ」 を大切にすれば、だれにだって書けるということです。社会と親がはぎ取るようにして子どもの 「みすみずしさ」 を奪ってしまうから、こんな詩が書けなくなってしまうのです。
今の子どもの状況を語るテレビ番組の中で、ある児童文学者が声を荒げるようにして次のように語っていました。
「これだけ根強いテスト主義がある限り、もうだめだ。せめて親の意識が変わってくれればよいのだが、それも望めそうにない。多くの親は、わが子がどのように生きてくれればよいと考えているのだろうか。人間が大きくなってほんとうに誇れるのは金や地位があることではなく、いかに人間らしい心を持っているかということだ、ということがどうしてわからないのだろう。
今の親の多くは、子育てにいっしょうけんめいになればなるほど、罪を重ねているようにしか思えない。
そこで、せめてその罪のつぐないに、自分の子どもを読書好きにだけはしてやってほしい。本の世界は、子どもにみずみずしさを与えることはあっても、それを奪うようなことは決してない。
読書は、すべての子どもにとって自分の力で自分の心を自分らしく、しかも大きく豊かに育てさせてくれる、もはや唯一のものだ」
子どもに読書をとおして、自分で自分のみずみずしさを守らせようというのです。
評論家の中村光夫さんは 「読書について」 という有名な読書論の中で 「読書は実生活を離れた夢の国に遊ぶのではなく、むしろ、それによって初めて人間として完成に近づくのだ。矛盾と苦痛に満ちた実生活に処して人間として高く生きることの意味を、初めてそれによってほんとうに知ることができる。ぼくらが生きることの意味を知るのは、主として書籍によってである。そこに蓄えられた先人の声を明確に、生き生きと聞き得れば聞き得るほど、ぼくらは自分のささやかな人生を、正しく明確に理解することができるのだ」 と語っています。
これは、もちろん、おとなへの読書論です。しかし、読書から自分の生きかたを学び得る大人になるためには、子どものときから、読書の楽しみを知っておかなければなりません。
今、あまり読書好きではない母親は、自分の胸に手を当ててみるとよくわかります。おそらく、子どものころ本に親しまなかったのでは。
だから、子どものときに、読書の楽しさを十分に味わわせることが大切なのです。
子どものみずみずしさを失わせているのはだれか、もう一度もよく考えてみることが大切なようです