10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第59回目。
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● 幼児期に読書の楽しさを教えてもらった無上の喜び
「今、私が親にいちばん感謝しているのは、私を読書好きの人間に育ててくれたことです」 ──これは、東京都に住む21歳のある青年の言葉です。彼は昨年、高校卒業後2年浪人して、目的の大学へ進みました。現在、大学2年生です。
彼が、ある日、目をきらきらさせながら、読書の好きな人間になれた喜び、読書によって得たさまざまなことへの喜びを、胸をはずませるようにして語ってくれました。
以下、彼の喜びをそのまま紹介してみましょう。
私の父は、がんこです。私が小学生のときはもちろんのこと、中学生のときも高校生のときも、学習塾へ行くことを絶対に許しませんでした。父は、私に言いました。「学習塾へ行くよりも、その時間本を読め。仮に1か月に20時間塾へ行ったとして、それを読書の時間にあてるだけでも月に4、5冊、1年に50冊以上の本が読める。小説もいい。伝記もいい。科学読みものもいい。社会問題の本もいい。いろんな本を読んで、じぶんの進む道は自分の頭でしっかり選択できる者になれ。大学は行かなくてもいいし、行くのなら自分の学びたいものをほんとうに学べる大学へ行け。3流大学でもいい。有名大学ならどこでもいいというような、バカげた進み方だけはするな。1年や2年浪人したってかまうことはない。行きたいと思う大学に行け」
だからというわけではないのですが、2浪しました。しかし、学びたいことを学べる大学へ入ることができました。これは、まちがいなく私が8年間の中・高校時代と浪人時代に、500冊近い本を読むことができたからです。
私は、その500冊くらいの本のから、まず人間にはいろいろな生き方があり、私は私らしい目的をもって生きていかなければ……ということを学びました。また、生きて行くのは挑戦でなければならない、強いものにおじけづいたら何もできないということも学びました。
もちろん、自分の自由を主張するかわりに人の自由を尊重しなければならないということや、愛の美しさ・苦しさや、人を思いやる心の大切さなども学びました。本に描かれている世界や、物語の中に生きる人たちの生きざまを通して、それらのほとんどを学ぶことができたのです。
もしも、私が、有名大学へ入るために学習塾へ通い続け、自分の時間をほとんどそのために費やしてきたら、これは絶対に果たせなかったと思います。
そこで、私がいちばん感謝しているのは、3、4歳のころから、母親が本を読む楽しさを私に教えてくれたことです。母親が読み聞かせをしてくれたことや、父親のみやげといえばいつも絵本だったことを記憶していますが、あの幼児期があったからこそ、私は読書好きになることができたのです。
あの幼児期がなかったら、私はきっと他の者と同じようにマンガばかり読んで小学生時代を過ごし、中・高校生時代も本など読まなかったのではないかと思います。小学校へ入ったころ、父のみやげを 「また本か」 とつまらなく思ったこともありました。しかし今は、父と母が子どものころに私を本に親しませてくれたことを、他のどんなことよりも感謝しています。
大学の仲間を見ると、6、7割が全く本を読みません。生意気を言うようですが、そんな仲間には 「本の楽しみを知らないなんて、全くかわいそうだ」 と思ってしまいます。
この青年は、私学の芸術学部に学びながら、脚本家をめざしているそうです。「父は、去年ガンで死んでしまいました。だから学費は自分でかせぎだしています」 と言いながらも、彼はとても幸せそうでした。
彼の語ったことは、幼児期における読書の大切さを、深く伝えているのではないでしょうか。