10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第56回目。
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● 戦争の真実を伝える本の説得力
「今の子どもは戦争のことを知らない。でも、戦争のない時代に生まれて幸せだということでよいのだろうか。戦争というものを、何かでしっかり教えておく必要があるのではないだろうか。でも、どうすればよいのだろう」
──こんな内容について語り合うことになり、9人ほどのお母さんに集まっていただいたときのことです。
30歳を少しすぎた1人のお母さんが 「子どもに戦争のことを語り聞かせようとしても、私自身、戦争のことを知りません。第一、子どもには、教訓的な語り聞かせをしてもだめなようです。子ども自身が戦争を実感することが大切なのではないでしょうか。
そこで私は本を読んでやることにしました。みなさんもよくご存じの、かわいそうなぞうの話です」 と言って、わが子にその本を読み聞かせたときの様子と、その成果などを次のように話してくれました。
去年の8月初めのある日、私はいつものとおり、子どもがふとんに入るのを待って、子どものまくらもとにすわりました。そして 「きょうは、とっても悲しいお話よ。読んでいるうちに、お母さんも泣いてしまうかもしれない」 と言って、「かわいそうなぞう」 の本を読みはじめました。
餓死させられることになったぞうが、えさと水欲しさに、飼育係に芸をしてみせるところを読んでいたときのことです。子どもはお腹の上にかけていたタオルケットを引き上げ、胸のところで丸めるようにしました。タオルケットの端で、そっと涙をふいているのです。私は一所懸命涙をこらえて読み続けました。昼間ひとりで読んだときに、一度泣いていたのに、やっぱり涙がとまりませんでした。
読み終わると、子どもはタオルケットをすっぽりかぶってしまいました。
涙がいっぱいの顔を私にみられたくなかったのでしょう。
次の日の夜、「もう一度、昨日の本を読んで」 と子どもが言い出しました。
私はまた、まくらもとで読みはじめました。ぞうが、えさと水欲しさに芸をする話の手前まできたとき、子どもがもう、その先は読まないで」 と言って、前の晩と同じようにタオルケットをかぶってしまいました。
さらに、次の日のことです。2時すぎに学校からもどってきた子どもが、自分の部屋からでてきません。私には、そのわけがすぐわかりました。子どもの机の上に 「かわいそうなぞう」 の本をそっとのせておいたのです。ふすまのかげからそっとのぞくと、子どもはひざの上に本をひろげたまま、こぶしで涙をふいていました。わたしは何も言わずにひっこみました。そのとき私の目も涙でいっぱいになっていました。
その翌日、「かわいそうなぞう」 の本を図書館に返してきました。そして、子どもにはもうこの本のことは何も言いませんでした。この本を読んで3度も泣いた子どもの心をそのままにしておいてやろう、きっと、何も言わなくても戦争の何かがわかったはずだと思ったからです。
それからしばらくして、子どもが 「学校から借りてきた」 と言って1冊の本を見せてくれました。それは、戦争の悲しさを描いた 「チロヌップのきつね」 でした。
私は、子どもに戦争を伝えるには本が一番よいと思います。私がどんなに一所懸命に戦争の話を語り聞かせたとしても、子どもの目に涙をためさせるほどの話はできませんから……。
この話を聞いた、他のお母さんたちは、しばらく黙ってしまいました。そして 「その、かわいそうなぞうの本、本屋さんに売ってるかしら」 「図書館に行けばあるかしら」 などといいながら、その日は帰っていきました。
優れた本は、すばらしい力をもっています。たった1冊の本が、子どもに戦争の真実を伝えたのですから。
なお、以前このブログで紹介した「かわいそうなぞう」(4月13日)の記述を是非ご覧ください。http://blog.livedoor.jp/izm_yoshio/archives/2006-04.html