10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第52回目。
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● 本に親しむ原点──主人公と一体になれること
1年生の女の子が、読書感想文で、次のように書いている「がまんだがまんだうんちっち」(梅田俊作・佳子・海緒 作/絵 岩崎書店刊)。
1ねんせいの、みおくんがトイレにいきたかったのに、そうじ中でいけなかったところから、このおはなしがはじまります。
まず、トイレをかりようと、ともだちのうちへいったら、るすでだめ。ケーキやさんもだめ、おじさんちもだめ、こうしゅうべんじょは、きたなくってだめ。スーパーはまんいんでだめ。とうとう、がまんできなくって、ちゅう車じょうのはらっぱでしてしまいました。みおくん、やっと、うんちができてよかったね。うんちをするにも、こんなにいろいろとかんがえないとできないんだね。さいごに、ちゅう車じょうのくさの中でやってしまったところ、とってもおもしろかったよ。
この本を読んでの感想文には、ほかの本の感想文にはないものがあります。
それは、「ぼくだったら、わたしだったら、どうしただろう」 と考えていることです。「ぼくががっこうのかえりみちでなったらどうしよう」 「トイレのないところでなったらどうしよう」 「みおくんのおしりのように、むずむずしだして、うんちにまけそうになったらどうしよう」 「あっちのトイレも、こっちのトイレもだめだったらどうしよう」。
子どもたちは、まず自分が 「がまんだがまんだうんちっち」 になったらどうしようと考えています。
そして次には、「わたしは、みおくんのように、おともだちのうちへなんかとてもいけない」 「だれもいない、こうしゅうべんじょにいくのは、とてもこわくてできない」 「田んぼはいくらでもあるけど、へびやとかげがいるから、きもちがわるい」 「わたしは女の子だから、のっぱらで、おしりをだすなんて、とてもできない」 などと考え、やっぱり、自分だったらどうするだろうと自分に問いかけています。
「やっぱり、わたしだったらパンツの中にしちゃうかなあ。パンツの中にうんちをしたら、きもちがわるいだろうなあ」 「うんちは、おしりにべったりくっつくし、くさいにおいがぷんぷんひろがって、いっぺんに、みんなにわかってしまう」 「なつだったら、パンツ一つになって川へとびこんで、そっとすればいいけど、ふゆは、とてもできない。ほんとにどうしたらいいだろう」 「ぼくだったら、きっと、びゅんびゅんかけて、げんかんにかけこんだら、ただいまもいわないで、くつをめちゃめちゃにぬいで、ランドセルをどさっとなげだして、トイレにとびこみます。でも、まにあわなかったら、どうしよう」。
子どもたちは、自分がこの本の主人公になったつもりで 「どうしよう、どうしよう」 と考えているのです。そして、そのときの自分の苦しさがわかればわかるほど 「みおくん、ちゃんとできてよかったね」 「パンツの中でしなくてよかったね」 「みおくんがくさの中でやったとき、ぼくも、すっとしたよ」 などと主人公へ語りかけています。
おとなは「うんちのことなど……」と思うかもしれません。子どもにとって 「ただ、おもしろいだけじゃないか」 と思うかもしれません。
しかし、おもしろいうんちの話だからこそ子どもたちが共感し、それが、物語の主人公を思う心と、自分だったらと考える心を育てるのです。
子どもに、1冊の本から必ず何かを学びとらせようとするのは、親の欲張りです。たしかに、1冊の本から何かを感じとらせることは大切なことです。
しかし、「ああ、おもしろかった」 という本をとおして、自分が主人公になりきる楽しさを覚えさせるだけでもいいのです。
子どもにとっては、主人公と一体になれることが、本を楽しく読む原点であり、その楽しい読書を積み重ねていくことが、やがて一つ一つの作品を深く味わうことにもつながっていくのですから。
子どもにとって楽しい読書、これが第一です。
なおこの絵本は、「えほんナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=2882