10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第60回目。
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● 人を思いやる心を作品から学びとらせる
「今の子どもたちに欠けているもののなかで、いちばん気になるのは、自分以外のものへの思いやりの心に乏しいということです。人の心のいたみや、悲しさやさみしさに心から思いを寄せる“やさしさ”が、うすくなってしまっています。口では、だれにでもやさしくと言います。しかし、だれかが一人をのけものにしていたら、自分もその集団に加わってしまうというのが、今の子どものほとんどです。何々をしてはいけませんというような行動の戒めは具体的なことですから、親の言い聞かせも子どもに通じます。しかし“人にやさしく”ということは“心の問題”ですから、言葉だけでは、なかなか通じにくいものです。いちばんよいのは母親自身が、心から人の気持ちや立場を思いやることのできる人間であることですが、残念ながら、母親にそれに欠けている人が少なくありません。そこで、子どもには、せめて人のやさしさをえがいた物語の本をたくさん与えて欲しい。すぐれた作品は、綿が水を吸うようにして、子どもの心にしみ入るものです」
以上は、テレビの教養番組の中でのある講師の発言です。
そこで、ここにひとつの読書感想文を紹介してみましょう。手の不自由な女の子を主人公にした 「さっちゃんのまほうのて」 (たばたせいいち絵・文 偕成社刊) を読んだ小学校1年生の男の子の感想文です。
ぼくは、このほんをなんかいもよみました。なぜだかわからないけれど、いつもなみだがでてきました。
さっちゃんは右手のゆびがなく、グー・チョキ・パーができないのです。
さっちゃんは、きょう、ままごとあそびで、とってもおかあさんになりたかったんだって。なぜかというと、いつもおかあさんになるのは、みよちゃんかまりちゃんです。だから、けいこせんせいが、「きょうのおかあさんはだれですか」 といったとき、さっちゃはかけあしで、ままごとばこから、さっとおかあさんのエプロンをとったんです。すると、まりちゃんがいいました。「てのないおかあさんなんていないもん」 みんなも 「そうだ、そうだ」 といいました。
さっちゃんは、エプロンをにぎりしめたまま、まりちゃんにとびかかって、エプロンをなげつけて、でていきました。ぼくは 「さっちゃんがんばれ。まりちゃんや、みんなをやっつけろ」 といってしまいました。
さっちゃんは、てがなくても、すべりだいやかいだんのぼりをがんばっています。かみをきったり、えをかいたり、じをかいたりできるのです。ねんども、かたほうのてでちからいっぱいつくっています。こんなさっちゃんだから、てがなくても、ままごとのおかあさんになれるとおもいます。
がんばりやのさっちゃんだったけれど、まりちゃんのいったことがとってもつらくて、おとうさんに 「わたし、おかあさんになれるの」 とききます。
おとうさんは、「なんだ、そんなことをきにしていたのか。さっちゃんのてからふしぎなちからが、おとうさんにつたわってくるよ。だから、さっちゃんのては、まほうのてだよ」 とさっちゃんのてをつないで、いってくれました。
さっちゃんは、げんきになってジャングルジムにのぼるようになりました。おともだちが 「おちないでよ」 といったとき、さっちゃんはげんきに 「さっちゃんのては、まほうのてだもん」 といいました。てがなくても、おとうさんやおかあさんがやさしくしてくれるし、まりちゃんやみんなともなかよしになったから、さっちゃんはままごとのおかあさんもできるし、ほんとうのおかあさんにも、ぜったいになれるとおもいました。
この感想文を書いた男の子は、さっちゃんの気持ちをいっしょけんめいに考えることで、自然に“思いやりの心”を学びとっています。
子どもをすぐれた作品に出会わせるのは、ほんとうにすばらしことですね。
なお、この絵本は、「えほんナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=237