10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第40回目。
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● 笑いころげて読むうちに自分の心を解放していく
「ねしょんべんものがたり」(椋鳩十監修 童心社刊)は、児童文学者の岩崎京子、神沢利子、坪田譲二、椋鳩十ら、女性7名、男性13名が語った、幼い日のねしょんべん体験記。1971年に出版されて以来、爆発的な人気をよび、今もなお、小学2〜4年生を中心に、多くの子どもたちに読みつがれています。たんに、おもしろいというのではなく、ふしぎなほど、子どもたちの心に安らぎを与えるからです。
この本を読んでの感想文のなかで、子どもたちは楽しそうに言っています。
「わたしは、この本を読んで、ほんとうに安心しました。学校の先生だって、童話を書いている人だって、えらい人だって、みんなみんな、おねしょしたことがあるんだもの」
「おねしょして、なやんでいる日本中の子どもたちに、この本読ませてあげたい。みんな、おねしょしたってへっちゃらだよ」
「ぼくは今まで、だれにも、ぼくのねしょんべんのことは話したことはありませんでした。ぼくひとりだろうと思って、はずかしくて、だれにもいえなかったのです。でも、この本読んで、なんだか、あんしんしたような気もちになりました」
「もう、へっちゃらだ。これから、ねしょんべんたれたら、きょうは、アメリカの勉強したんだぞーっ、きょうは、オーストラリアの勉強したんだぞーって言ってやろう。もうあんしんだ。この本読んで、ほんとにすっとしました」
「この本は、いちばんに、妹に読んでやろう。おねしょしたって、平気のへっちゃらだってわかったら、妹、よろこぶだろうな」
「先生がこの本読んでくれてから、先生が、きのう、ふとんの中に雨をふらせた人、なんて言うと、いつも何人かがいばってハイハイと手をあげるようになった。1人か2人のときは、先生は、なーんだ、たったのこれだけかと言って、みんなをわらわせます。ねしょんべんたれの子にとって、この本は神さまです」
「これまで、ぼくは、ねしょんべんした朝は、おい、おちんちん、また、やったんか、きょうはゆるすけん、あしたはすんなよ、と、いいきかせてきました。でも、もう、いうのやめます。おい、おちんちん、よかったね」
「この本、お母さんにもよませました。お母さん、アハハ、オホホとわらいながらよみました。ぼく、お母さんのところへ行って、もう、ねしょんべんたれのばかじゃないからねといいました。お母さん、また、アハハ、オホホとわらいました」
子どものこんな声に耳をかたむけていると、こちらまで楽しくなってきます。今まで秘密にしていたことを、みんなぶちまけてせいせいしている子どものきもちが、あたたかく伝わってくるからです。
子どもたちの心は、「ゆかい、ゆかい」 「おかしくて、おかしくて」 と読んでいるうちに、「わたしだって、ねしょんべんたれだったよ」 という (えらい人) たちの心と一つになってしまっています。つまり、同化しています。
実は、これがすばらしいのです。同化によって、孤独な苦しみ、悲しみ、さみしさから解放され、心を明るく開いていく──これこそ、かけがえがないのです。
苦しい環境の子どもが、苦しみに耐えて生きる子どもの物語を読んで感動したとき、「苦しいのは自分だけではないのだ。がんばらなければ」 と思い、苦しみにうちかつ力を自分自身で育てていく……これと同じだと言ってもよいでしょう。
よく 「私をかえた1冊の本」 などと言われるように、本は、たしかに、人間を変える力をもっています。
しかし、人間を変えるなどと言っても、むずかしく考えることもありません。「ねしょんべんものがたり」 を読んだ子どもは、ねしょんべんたれの孤独の悲しみから自分を解放することによって、自分を変えたのですから。