10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第25回目。
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●「そうだったのか」という発見の喜び
「ヒマワリ」 や 「アサガオ」 の、生態とか観察のしかたについて解説した図鑑……これらの図鑑からも、子どもたちはすばらしいことを感じとっています。それは、知ることのよるこび、発見のよろこび、生物の神秘へのおどろきなどであり、童話などの文学作品からは感じとることのできない、貴重なものです。
「ヒマワリ」 の図鑑を手にした子どものほとんど全員が、まず 「1つの花だと思っていたのは、ほんとうは花の集まりだった」 「花の外がわの花びらのように見えるのは、たねのできない1つ1つの花で、うちがわが、たねのできる、たくさんの花だったのだ」 ということに、いちようにおどろいています。
また 「ヒマワリの名は、花が太陽に似ていて、太陽についてまわると思われたので、そう名づけられたというけれども、ほんとうは、花が太陽についてまわることはないんだ」 「太陽の方をむいてまわるのは、花が咲きだすまえの、てっぺんの葉だけなんだ」 ということに、はじめて事実を知ったよろこびを味わっています。そして、この事実を本で知ったすべての子どもが、自分の家の庭や学校の花壇のヒマワリを観察して 「自分の目で、それをたしかめた」 と語っています。「本には、23センチくらいの花だったら、1300くらいのたねをつけると書いてあったので、ほんとうに23センチの花をとってきてかぞえてみました。そしたら、12しかちがわない1312だった」 と語っている3年生の子もいます。
いっぽう 「アサガオ」 については、多くの子どもが 「むかしは、うすい青色の花しかなかった。それが、人間がさいばいするようになって、いろんな色の花ができてきたのだ」 ということに興味をもち、遺伝のしくみのふしぎさに、首をかしげています。
また、本に「花は、朝早く、外がまだ暗いうちから開き始める」「朝、4時ごろ開きはじめて、5時ごろにはすっかり咲いてしまう」 などと書いてあるのを見て、何人かの子どもは朝の3時とか4時に起きて、「かいちゅうでんとうで、てらしながら、1つ1つ、花がひらくのをたしかめた」 「はじめは、なかなかひらかないけど、半分ひらくとパラッとひらくのがおもしろくて、1時間いじょうも、かんさつしてしまいました」 などと語っています。つるの左巻きを 「1つぐらい、右巻きのがあるかもしれない。あったらおもしろいと思って、みんなたしかめました」 という子もいます。
● 自分の目と手で事実をたしかめる喜び
さて、以上のことは、おとなから考えれば、なんでもないことのようです。しかし、子どもにとっては、その1つ1つが胸のときめくような発見です。
ヒマワリを、ただ聞き知りで、1つの大きな花だ、太陽をむいてまわる花だと思いこんでしまい、それになんの疑いももたない子どもとくらべたら、なんと大きな違いでしょう。アサガオは 「朝咲く花だから朝顔というのだ」 と、わかりきったつもりの子どもにくらべたら、なんと大きな違いでしょう。
それも、たんに本の上で知識として知るのではなく、自分の目で自分の手でたしかめ、生物の神秘にもじかにふれながら、実験と体験を通して納得していくのですから、そのすばらしさは同じ知識でも最高のものです。
「自分の目でほんとうのことを知ることのたいせつさを、おしえられました」 「ほんとかなあ、どうなってるのかなぁ、と、考えてみるたのしさを知りました」 「人間は、ひょっとすると、うそを、ほんとうと思いこんでいることが、とっても、おおいのかもしれない。これからは、少しでも、ほんとうのことを知るように、努力しよう」 「花だって、生きてるんだなぁ、ということが、よくわかった」……子どもたちは、読書感想文のなかで、このように言っています。
本を読んだら、その感銘やおどろきを、自分とむすびつけて、自分の身のまわりとむすびつけて考える……というのが、読書のもっともすばらしい姿ですが、図鑑を読んで、まわりの物を改めて見なおすことによって得る感激を知った子どもは、その読書のもっともすばらしい姿を自分のものにしたのです。子どもに図鑑を与えたら 「なぜだろう、ふしぎだな」 と思うようなヒントをも、いっしょに与えるようにしてみることです。子どもは、必ず、目を輝かせてくれます。