10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第28回目。
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「花さき山」(斉藤隆介作・滝平二郎絵 岩崎書店刊)のあらすじは次の通りです。
お祭りのごちそうに使う山菜を採りに、山へ行った少女のあやは、山奥でやまんばに出会いました。ふもと見ると、あたり一面に、美しい花が咲きみだれています。やまんばは、あやに言いました。「この花は、山のふもとの人間が、やさしいことをひとつすると、ひとつ咲く。おまえの足もとの赤い花、それは、おまえが咲かせた花だ。祭りの晴着をがまんして、妹のそよにつくらせた、あやのやさしさが咲かせた花だ」。村へもどったあやは、このことを村の人びとに話しました。しかし、夢でも見たんだろうと、だれも信じてくれません。それからしばらくして、あやはまた山へ行きました。ところがやまんばはおらず、花の咲いているところもありませんでした。でも、あやは……。
● 心の中で涙を流す
この民話ふうの物語絵本を読んだ小学1、2年の子どもたちは、ひとりのこらず、自分のことよりも人のことを考えてあげる、やさしい心の美しさとたいせつさに、心から感銘を受け、共感しています。
「家がびんぼうで、二人のまつりぎをかってもらえねえことを知ってたから、じぶんはしんぼうした。おっかあは、どんなにたすかったか! そよは、どんなによろこんだか!……この本のなかで、ここのところがとってもすきで、読めば読むほど、あやの、やさしさがわかります。いままで、いろんな本を読んだけど、この本がいちばんいい本でした」
「おらは、いらねえから、さよさかってやれ、といったとき、あやは、どんなきもちだったのだろう。心のなかでは、なみだをながしていたのかな。でも、その涙が、花をさかせたんだ」
「おっかあと、妹のために、じぶんはがまんした、あや、なんてやさしいんだろう。でも、あやは、ほんとうは、とってもつよいんだ。心がつよくないと、あんなことはできない」
「ぼくは、この本をよんで、心のつよい、じぶんにまけないにんげんでないと、ほんとうの、やさしいにんげんになれないのだとおもった」
「あやは、おまつりに、はれぎをきることはできなくても、きっと、だれよりも、きれいだったにちがいない。だって、心に、きれいな花をさかせていたんだもの」
「3回よんで、3回、心のなかでなきました。あやさん、ずっと、ずっと、わたしの友だちになってね、わたしも、花さき山に花をさかせるように、がんばるから」
子どもたちは、母親のために妹のために、自分をぎせいにしたあやの心を、いっしょうけんめいに思いやり、やさしい人間のなみだから生まれる、花さき山の清らかな美しさに、目をほそめています。
● ほんとうのやさしさとは何か
また 「心のなかで泣けてしかたがなかった」 ほどの、あやの、やさしさをとおして、ほんとうのやさしさは、自分にうちかつ強い心からしか生まれないことに気づいています。そして、あやとくらべて自分自身を見つめなおし、あやに負けないように、花さき山に花をさかせることのできる人間にならなければ、ということを、心に誓っています。それは、あやのやさしさが、すきとおった感動となって、心に深くしみ入ったからです。
「人には、心からやさしくしなければいけませんよ」 「人間は、自分のことばかり考えてはだめですよ」……こんなことを、子どもに、口先でどんなにくり返し言い聞かせても、なかなか身につくものではありません。ところが、この 「花さき山」 の物語は、ただこれだけで、この絵本を読むすべての子どもの心に、「やさしさ」 の花を咲かせ、実もつけさせています。それは、この物語のもつ香り高い文学性が、子どもの心に純粋な感動をよびおこしたからです。
「ものが、いっぱいあるから、いまのわたしたちは、きっと、たいせつなことをわすれているのだとおもう。どんなにまずしくても、あやは、しあわせだ。あやのかぞくも、しあわせだ。やさしい心のきものをきることを、知っているのだから」
これは、2年生の女の子の感想ですが、文学作品から受けた感動は、小さな子どもの心にも、これほど深い思考を発芽させるのです。純粋な感動ほど子どもを成長させるものはありません。
なお、この絵本「花さき山」は、「絵本ナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=604