10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第29回目。
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「最後の一葉」(オー・ヘンリー作)のあらすじは次の通りです。
そまつな3階建のアパートに住むジョンジーは、肺炎におかされ、しだいに生きる気力を失っていく。そして窓から見える壁を見つめては、12、11、10、9、8、7、と数えつづけ、深いため息をつく。 1枚、また1枚と落ちながらもくずれかけたレンガにしがみついている、つたの葉を数えては、あの葉が散ってしまうとき自分のいのちも終わるのだ、と思う。ところが、夜どおし強い雨と風が吹きつけた翌朝、壁を見ると1枚の葉がレンガにへばりつくようにして残っていた。同じアパートに住む、名もなく貧しい老画家ベールマンが、ジョンジーのことを知って雨にうたれながらレンガにえがいた最後の一葉だった。ベールマンは回復の見込みのない肺炎にたおれるが、ジョンジーは、生きる力をとりもどしていく。
● 強く生きるための意志の大切さを知る
豊富な人生経験をもとに人間の哀歓をえがいたアメリカの小説家、オー・へンリーの短編は、広く世界じゅうの人びとに愛読されています。「最後の一葉」は、その中でも最も傑作とされている短編の1つです。
この短編を読んだ子どもたち(小学5〜6年生) は、 2つのことについて考えています。まず1つは、人間の意志のたいせつさです。
「自ら死を持つばかりになっていたジョンジーは、最後に残った1枚のつたの葉の生命力にうたれ、自分も生きなければならないという強い意志と、生きたいという強い希望をもつことができた。ぼくは、心の持ち方しだいで、こんなに強く生きていけるんだということをジョンジーから学んだ」
「人間は、自分はだめだと思ったとき、もう負けているのだ。ものごとに勝ちたいなら、まず自分自身の心との闘いにかたなければいけないのだ」
「最後まで希望をすてずにがんばる強い心が、きっと、不可能を可能にみちびくんだ。たいせつなのは意志だ」
「これまで、にがてな科目は、どうせぼくはと思ってきた。でも、それはまちがっていた。ほんとうの努力をしていなかったのだ。自分に負けていたんだ」
子どもたちは、強い意志のたいせつさをかみしめなおしています。この物語をとおして、人間はまず、自分自身に負けてはならないことを知ったのです。ある6年生の女の子は感想文のなかで、市の小学生陸上競技会の60メートルハードルに参加したときのことを、「ほんとうに心の持ち方だったんだ」 と深く思い返しています。
「他の選手の肩ぐらいまでしかない私は、走らなくても結果は見えていると、走るまえから気力をなくしていました。すると、そんな私の心に気づいたのか、父が、身長など気にするな、おまえは小さいがバネがある、必ず勝てる、弱気でどうするか、とはげましてくれました。私は、きっと勝てると自分に言いきかせて走りました。すると、優勝したばかりか、タイムは大会新記録だったのです。あとで父は、私の肩をたたいて、おまえは、自分に勝ったんだ。お父さんは、競走に勝ったことよりも、そのことのほうがうれしいと言ってくれました」
この少女は、「最後の一葉」 から得た感動を自分の経験にかさねあわせて、改めて人間の意志のたいせつさをかみしめたのです。
● 人のために生きることの大切さを知る
子どもたちが考えたことの2つめは、人間の生き方です。
「名もない画家のベールマンは、一生に一度の傑作を1つだけ残して死んでいった。かわいそうな気もするが、なんだか、とっても美しい」
「傑作をかこうなどと思わないで無心になってかいたとき、はじめて、人のいのちを救うほどの傑作が生まれた。ベールマンは、あの1枚の絵で、自分の人生を傑作にしたんだ」
「人のために生きる勇気をもて、自分の心に傑作をかけ……この短篇が私に教えてくれたものは、これだ。ぼくもぼくなりに、ぼくの一生の傑作をつくりあげていこう」
ベールマンの崇高な最期が、子どもたちの心をうったのです。この短編を読んだ子どもたちは、つめたい雨のなかで、ずぶぬれになって最後の一葉をえがいている老画家の姿を心にえがき、きっといつまでもそれを忘れないでしょう。すぐれた文学から得た感動はいつまでも心に残ります。そして、その人の生き方に光を与えつづけます。ここに、文学のすばらしさがあるのではないでしょうか。