10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第34回目。
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「片耳の大鹿」 椋鳩十作(ポプラ社刊)のあらすじは、次の通りです。
鹿児島県の屋久島……この島で、少年たちはシカ狩りの名人吉助おじさんたちと、冬の山へシカを撃ちに行きます。めあては鉄砲で片耳をもがれたシカの大将。ところが急にあらしになり、ずぶぬれになった一行8人はほら穴にもぐりこみます。するとそこには仲間をつれてあらしをのがれた大シカがいました。寒くてたまらない少年たちは、思わず、シカの群れの中へもぐって、冷えきった体をあたためました。そして、どれくらい眠ったか、ふと目をさますと、シカがいっせいに立ちあがって角をかざしました。でも、シカたちは、そのまま一列になってほら穴をでて行きます。先頭に立っていたのは片耳の大シカ。少年たちは片耳の大シカのおかげで命が助かったのでした……。
● 命の尊さと、シカと人間との心のかよいあい
この作品を読んだ子どもたち(小学4〜6年生)は、大きくわけると2つのことに心を動かしています。まず一つは、命の尊さです。
「動物たちは、人間が想像する以上にいっしょうけんめい生きているのだ。ぼくはこの物語を読んで『生きる』ということは、人間も動物も全く変りがないのだということに気づき、これまで動物なんかと思っていた気持を心から反省させられた。これからは、ぼくの動物を見る目が変ってくると思う」
「片耳の大シカは、自分のためよりも、子孫のため、仲間のために死んではならない、生きなければならないと思っていたのではないだろうか。もしそうだとすると、こんな美しい生き方はない」
「人間は、へいきで人間以外の生きものを殺す。でも、それはほんとうにゆるされることだろうか。人間の命の尊さと、動物の命の尊さとはちがうのだろうか……」
子どもたちは、片耳の大シカの雄々しい生き方に心をうたれて、あらためて、命の尊厳というものを自分なりに考えているのです。しかも、人間の命も動物の命も、命には変りはないのだという原点に立って、考えようとしています。人間には人間以外の生きものを殺す権利があるのか……これはむずかしい問題です。しかし、この年ごろにこうしたことを考えたという経験をもつことは、子どもたちにとって大きな意味をもつことになるでしょう。
子どもたちが心を動かしたことのもう一つは、片耳の大シカを殺そうとした人間と、雄々しく生きる大シカとの、ふしぎなほどあたたかい心の交流です。
「大シカを殺そうとしてきた吉助おじさんや次郎吉さんは、大シカの、あまりにも強い生き方に負けて、いつのまにか、心のなかでは大シカをそんけいするようになっていたのだ」
「おじさんが、これまで銃をむけてもなかなかうてなかったのは、心のどこかで、大シカを愛するようになっていたのではないだろうか。きっと、大シカが好きになっていたのだ」
「片耳の大シカがほらあなをゆうゆうとでていくとき、半分は、おれを殺せるなら殺してみろと思い、半分は、きっと殺すことはないと、次郎吉さんたちを信用していたのだろう。シカと人間の心は通じあうようになっていたのだ」
「作者がいちばんいいたかったのは、シカと人間というよりも、いのちあるものどうしの心のかよいあいではないだろうか。作者は、きっと心のやさしい人だ」
子どもたちは、こんなことを読書感想文に記しています。作者の心をみごとに読みとっています。
「もしも大シカが人間だったら、ほらあなをでて行くとき、大シカと次郎吉さんたちは手をにぎりあって、おたがいに命をたいせつにして、これからは助けあって生きていくことを、ちかいあったのではないでしょうか」
これは4年生の女の子が記したものです。また、この物語から、人間の心のみにくさや、おごりを読みとったものもあります。15分もあれば読める短編の一つですが、これほどまで、子どもたちに勇気と感動をもたらすものは、めったにありません。