10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第35回目。
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● 知るよろこび、自然への愛、自分から学ぶ楽しさ
物語や童話は読まなくても、図鑑だけは好きだという子どもがいます。ところが、図鑑を見るのは読書ではないと思いこんでいる人が少なくありません。母親の集まりでも 「うちの子は図鑑は見るけど本は読まない。どうしたらよいか」 という質問が必ずでます。
図鑑は見るけど他の本は読まないというのは、読書に偏りがあると考えられがちですが、図鑑を見る、読む、利用するという行為は、物語や童話を読むのに比べて、その価値がけっして劣るものではありません。図鑑 (ここでは昆虫図鑑) を読んでの感想にふれると、そのことがはっきりわかります。
まず、昆虫図鑑を利用した子どもの多くが、初めて知った神秘的な昆虫の世界におどろき、「知らなかったことを知る」よろこびを自分のものにしています。自分で昆虫を飼うために、観察するために、あるいは観察から生れた疑問を解くために、その参考資料として図鑑を利用したという場合が多いようですが、自分の目で見ただけでは、とうてい気づき得なかった神秘な事実に、図鑑を利用したことによって初めて気づき 「こんなことだったのか」 「そうだったのか」 などと、胸をときめかせながら語っています。
昆虫図鑑は、子どもたちに、昆虫の世界への興味を深めさせるだけでなく、真実を知ることのすばらしさとたいせつさを、しぜんに学ばせているのです。
そして、その神秘的な世界に目を見張るうちに、昆虫たちのきびしい生と死にふれ、たった1匹の小さな昆虫からさえも、生きるものの生命の尊さというものを、深く感じとっています。
交尾後、なんの抵抗もせずに雌に食われて死んでいく、雄カマキリの宿命的な悲しさ。幼虫として生きた地中や水中での良い時期に比べると、成虫として生きる時間のあまりにも短い、セミやトンボの生命のはかなさ。すり鉢状に掘った砂の穴の底にかくれて、なん時間でも獲物を待ちつづけるウスバカゲロウの、生きるための持久力の強さ。このほか、生きるためのさまざまな知恵、きびしい自然とのたたかい、外敵とのたたかい。……子どもたちは、これらのことから 「どんなに小さな虫でも、どんなに目だたない虫でも、いっしようけんめいに生きている」 ということを学びとっています。
また、生命の尊さにふれたことによって、虫を飼っていた子どもの多くが 「あそび半分で虫を飼ってはいけないのだ」 「観察が終ったら早く山へかえしてやろう」 などと語っています。
「これまで、虫けらなんてと思っていたのは、まちがっていた。これからは、足で虫をふみころすようなことは、もうぜったいにしない」 というような思いやりを、しぜんに育てているのです。
さらに、こうして図鑑を利用した子どもたちは、わからないこと、ふしぎなことを自分で調べて、自分で問題を解決していくことの楽しさを学びとっています。
「ずかんでしらべて、あたらしいことがわかるたびに、ぼくは、やったぁ! わかった! とさけんだ」 「一つのことを調べるのに、こんなにむちゅうになったのは、はじめてだ」 「ずかんを3冊も4冊も借りてきて調べた。このけいけんを、わたしは一生忘れない」
「たった1冊のずかんが、わたしに、もっと知りたいという気をおこさせてくれた」 などと語っている子どもたち。
以上のほか、「図鑑はわたしに科学する心を教えてくれた」 「自然というすばらしい世界のあることを、わたしに気づかせてくれた」 と語っている子どもたちもいます。
こうしてみると、童話や物語とは違った、図鑑のすばらしさが、はっきりわかります。なかでも、自分から学ぶことの楽しさを教えてくれるということは、文学作品などからは得がたいことでしょう。図鑑を見ながら 「やったぁ! わかった!」 と叫んでいるこのとき、その子は、まさに読書のだいご味を味わっているのです。