10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第12回目。
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「ないた赤おに」 は、愛と善意をえがきつづけた童話作家浜田広介の代表作のひとつです。1933年に書かれ 「かしこい2年生」 という雑誌に発表されてから、半世紀以上ものあいだ、読みつがれてきています。ストーリーを紹介してみましょう。
赤おには、人間と仲よくくらしたいと考えますが、人間がこわがってうまくいきません。すると、友だちの青おにがやってきて 「ぼくが村であばれるから、きみは、ぼくをなぐれ。そうすれば、人間はきみをほめて、あそびにきてくれる」 といいます。そして、そのとおりにすると成功しました。でも、友だちのことが心配になって青おにの家へ行ってみると、青おには、赤おにのしあわせを祈って旅へ出たあとでした……。
● 友のしあわせのための自己犠牲
さて、この 「ないた赤おに」 を読んだ子どもたちは、まずはじめに、こんなにも心のやさしい鬼のいることに、おどろきのことばをもらしています。「いっすんぼうし」 にでてくる鬼も 「ももたろう」 にでてくる鬼も、みんな悪ものなのに、この 「ないた赤おに」 の鬼は 「ぜんぜんちがう」 というのです。
「太い金の棒をふりまわして、 物をうばったり、人をさらったり殺したりする鬼は、おそろしくて悪いやつばかりだ」 と思っていたのに、やさしい心で人間と仲よくしたいなあと思う鬼なんて、悲しくて、しくしくなみだをながす鬼なんて、子どもたちには、なんだか、ふしぎでしかたがなかったのでしょう。でも、このことは、小学校2、3年生にもなると 「にんげんでも、からだや、かおだけで、そのひとを、こんなひとと、きめてしまってはいけない」 「たいせつなのは、こころなんだ」 ということを、はやくも、さとっています。
ところで、子どもたちは、この物語にでてくる赤鬼と青鬼のどちらを、すきになるのでしょうか。ほんとうにやさしいのは、どちらだと思うのでしょうか……それは、青おにです。子どもたちは、口をそろえて言っています。
「あおおには、ともだちを、こころから、たいせつにしたんだね」 「わざとあばれて、わざとなぐらせて、赤おにがやさしいようにみせてあげた青おにさん。なんて、おもいやりがあるのでしょう」 「青おには、じぶんがぎせいになって、ともだちの、しあわせだけを、かんがえてあげたのね」 「じぶんが、わるものになって、たたかれる役を、ひきうけた青おに。そんなこと、ぼくには、とてもできません」 「じぶんが、そんをして、赤おにをたすけるなんて、青おにには、すごいゆうきがある」。
「赤おにと青おには、ぐるなんだと、むらの人たちに思われないように、青おには、たびへでて、いなくなってしまった。どこまでも、どこまでも、ともだちのことを、かんがえたんだ」 「青おには、ともだちのために、じぶんのさみしいのは、がまんしたんだ」
子どもたちは、友だちのしあわせのために自分を犠牲にした愛の深さと勇気にうたれ、青おにの、美しい心と行動に拍手をおくっているのです。そして 「勇気のある、ほんとうのやさしさとは、なにか」 を、考えています。
● 鬼の心から学ぶ美しい友情
しかし、だからといって赤おにが、きらいだというのではありません。「あかおにくん、きみは、あおおにくんに、ぼかぼかなぐれといわれても、はじめは、ひとつしか、 なぐらなかった。あおおにくんが、かわいそうだったんだね」 「あおおにくんが、ひたいを、はしらにぶつけて、こぶをつくってにげていくとき、きみは、しんぱいで、あとを、おいかけたね。きみも、あおおにくんにまけないくらい、こころのやさしい、おになんだね」 「赤おにくん、きみは、ともだちのことがしんぱいになって、青おにくんのいえへいったんだ」 「きみは、青おにくんのやさしいおもいやりに、むねがいっぱいになって、なみだをこぼしたんだね」……などと、赤おにに語りかけている子どもたち。
そして 「わたしは、赤おにさんの、いちばんのともだちは、やっぱり、いつまでも青おにさんだとおもいます」 「赤おにくんも青おにくんも、すばらしいともだちをもって、よかったね」 と、その美しい友情をたたえる子どもたち。「わたしも、青おにさんのような、ともだちがほしい」 「でも、いい友だちがほしいなら、まず、わたしが、いい友だちにならなければいけない」 「これからは、もっともっと、友だちをたいせつにしよう」 と、自分にいい聞かせるこどもたち。
「あおおにさんの、きもちを、かんがえると、なんかい読んでも、なみだがでました」 という、この作品から、すべての子どもが美しい友情を学びとるのではないでしょうか。すぐれた文学は、こどもの心に、紙が水を吸うように、しみいるものです。